その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

東京マラソン2015 完走記 「めざせサブ4!」 (2/2)

2015-03-01 07:06:23 | ロードレース参戦 (in 欧州、日本)
【10キロ~20キロ地点(承前)】

再び、増上寺前を通過し、新橋・日比谷エリアに戻ってくる。ちょうど20キロ地点で、応援に来てくれた家人が見えた。普段のロードレースでは顔を出してくれることは決してないが、さすがに東京マラソンは違うらしい。私もまだまだ元気なので、余裕をもって声援に応える。20キロ通過が1時間48分台。上出来、上出来。さあ、これで前半戦終了。


《増上寺と東京タワー》

【20キロ~35キロ地点】
ハーフ地点を超えるといよいよ東京のど真ん中、銀座に突入。沿道のサポーターも更に賑やかになる。ただ今回は、あまり周囲には気を散らせず、これから35キロまでの中盤戦をどう走るかを考えることに集中した。まずは、これからの筋肉疲労に備え、ウエストポーチに忍ばせたアミノバイタル・ゼリーを飲む。そして、ここまで、トイレ待ちでのタイムロスを避けるために、5キロ地点で一口飲んだだけだった水分補給をする。給水所でポカリ・スエットを手に取り、二口ほど飲んだ。そして、このレース初めての食物補給所で、バナナを半分頂き、ちょっと空腹を覚え始めたお腹を満たす。よし、これでこれからも行けるぞ。


《銀座マリオンの横を走り抜ける》


《銀座三越前ももうすぐ。前には中国人選手が》


《この人、何キロ背負って走っているのか?》

日本橋~水天宮~浅草橋を通って、浅草へ向かう。東京って、エリアエリアで表情を大きく変えるから、走っていてまったく飽きない。浅草雷門前を折り返し、再び銀座に向かう。30キロ地点で2時間42分台。こんな好調なレースは久しぶりだ。30キロになっても、まだ足に異変が起こる予兆もない。もしかしたら、これは行けるかも。


《雷門前》


《雨こそ完全に止んだけど、曇り空でスカイツリーも最上部は見えない》

30キロ地点を過ぎたところで、職場の同僚が応援してくれるはずなので、キョロキョロしていたらしっかり発見できた。向こうも気づき「XXXさ~ん」と手を振り、写真を撮ってくれた。丁度、中だるみするこの地点での応援はありがたい。気合を入れなおす。さああと12キロ。このコースは最後の35キロ以降が正念場。まずは、35キロ地点の築地まで何とか今のペースを持続しようとだけ考え、私にとってのお札の一つである、ヴァームの粉末スティックを取り出し、口に流し込んだ。うまいものでは全然ないが、しょうがない。

周囲では、歩いたり立ち止まって脚をさするランナーが出始めた。だが、自分は驚くほどまだ脚が動く。やっぱり直前3か月、30キロ走を3回こなしたのが良かったのかもしれない。35キロのラップは3時間9分台でペース持続を確認、更に驚いたことに30~35キロの5キロラップが26分台とこの日の最高を記録している。俺のストップオッチ、壊れてないよな。


《銀座通り》

【35キロ~ゴール】
35キロを過ぎて、いよいよホントの後半戦が始まる。ここからは、今までの平坦な道から、何ヶ所かアップダウンが出てくる。そして過去のフルマラソン経験上、35キロ以降には必ずと言っていいほど、脚のどっかが釣るのである。さあ、これからが正念場だ。

まずは佃大橋。ここはコース最大の上り坂になる上に、自動車専用道路のため、しばらくサポーターの声援が切れる。坂に入ると、TVの金コーチの教えを守り、腕を下げ、後ろに強くひきながら勢いをつけて走る。この日、初めての上り坂は何とか登り切った。登ったところでは、誰かがラジカセでロッキーのテーマを流していた。思わず、映画「ロッキー」で、ロッキーがフィラデルフィア美術館の階段をグレイのジャージ姿で上り、雄たけびをあげるのを思い起こし、こっちもつられてガッツポーズ。馬鹿だな、俺って。


《佃大橋》

月島を経由して、豊洲エリアに入ると再び賑やかさが戻ってくる。丁度、38キロ。さすがにそろそろ脚が弱り始めて、体のばねが利かなくなってきたのが分かる。そして、なんのサインがあるわけではないのだが、内臓にも無理がかかってるのが実感できる。でも、あと5キロ。頑張るしかない。サポーターの応援がありがたい。小学生ぐらいの子供達とハイタッチすると、なぜか元気が生まれてくる。

ついに40キロ地点通過。5キロラップは多少落ちたが、3時間36分台でいよいよサブ4が見えてきた。過去のレースで経験した、残り2キロの転倒、脚の痙攣などのアクシデントが頭をよぎる。まだ、最後の上り坂があるから決して油断はできない。腹が減って参ってきたので、最後の上り坂の手前で、3本目のお札である栄養機能食品SOYJOYバナナ味を取り出し、走りながら口に入れてみる。が、疲れのためか、うまく噛めない、呑み込めない、胃が受け付けないと全然機能しなかった。口からそのまま道路に戻して、食べるのをやめた。それでも、ラスト1キロ地点にある最後の坂は何とか上り切り、あとはビックサイトに飛び込むだけとなった。腰が落ち、背中が曲がり、われながら相当ひどいフォームだろうなと思いつつも、とにかく一歩でも距離を縮めるために脚を前に出す。20キロ地点から家人が移動して、応援してくれているはずなので、少し周囲を見渡してみるがそれらしき人は見当たらない。「今が、一番つらいんだけどなあ~。こんな時に居てくれたらなあ~」と思う。(レース後に聞いたところによると、丁度、この頃、私を見つけ声をかけてくれていたらしいが、私がもうろうとして全く気付いてなかったことが判明)。


《ゴールのビッグサイトが遠くに見えてきた》

それでも、ついにゴール前のゲートまで来る。よし、あと200メートル。頼むから、脚だけは痙攣してくれるなよ。と念じつつ、ゲートを跨ぐ。ゴール前の花道の横に設けられたスタンドを見て、家人がいないかどうか探してみようとしたが、視点が定まらずとても探せる状態ではなかった。ゴールゲートが近づいてい来る。よ~し、よ~し。ゴール!ストップオッチを力強く押す。手元の時計で3時間48分58秒。サブ4達成!そして、自己ベスト。


《残り2百メートル》


《ゴールはもうそこ》

レース後、目標であるサブ4を達成したにもかかわらず、不思議に冷静で淡々とした自分が居たのが少し不思議だった。レース運びはほぼ完ぺき。フルマラソン歴13年の中でも、これだけの走りができたレースはない。だから、満足感や嬉しさはそれなりにあるのだが、自分を捉えた気持ちは、それよりもむしろ練習の結果が出た安心感だった。村上春樹のエッセーで、村上さんがある一定年齢を超えて、どんなに練習してもレースのたびに徐々にタイムが落ちていくことを書いていた下りが気になっていて、村上さんよりはずーっと年下の私だが、自分もその領域に入ってしまったのかという恐怖感みたいなものが、最近のレースではいつもまとわりついていた。だから、今回は、自分としてはこれまでにない練習を重ねてきて、もし結果が出なかったらフルマラソンはもうやめてしまおうかとまで思っていたところもあったのだ。もちろん東京マラソン特有のボランティア、サポーターからの大声援、ランナー同士の楽しい雰囲気によるところも大きい。でも何はともあれ、よし、自分はまだ走れる。記録も伸ばせる。

ビッグサイト内のミーティングポイントで家人に迎えられ、「お疲れ様」の言葉をかけてもらう。「ありがとう。さあ~、ビール飲みに行こう!」


2015年2月22日
コメント (5)
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