
クラーナハの絵に接すると、独特の繊細さ、非現実的な美しさに深く引き込まれる。欧州の美術館でクラーナハの絵にいくつか接し、すっかり魅了されたのだが、その個展が東京で開催されると聞いたときは狂喜した。
今回、日本初という大回顧展で、クラーナハ父の作品だけで60近く展示されている。ウィーン美術史美術館、国立西洋美術館を初めて世界の美術館から集められた作品は圧巻だ。知らなかったが、同時代のデューラーと同様に、クラーナハは画家工房を営み、システマティックに大量創作していたということだ。
もっとも印象的だったのはチラシにもなっている「ホロフェルネスの首を持つユディット」。改修作業を終えたまもないと入口のビデオで紹介されていたが、色がみずみずしく蘇り、輝くとともに、生首を手にするユディットの怜悧な表情やホロフェルネスの首のグロテスクさには足がすくむ。絵の前にから離れることができない強烈な磁力を放っていた。

《ホロフェルネスの首を持つユディト》1530年頃、油彩/板(菩提樹材)ウィーン美術史美術館(画像はクラーナハ展のツイッターから)
クラーナハ以外にも、同時代のデューラーの版画(ディテールにおいてはデューラーに分がある)やクラーナハをならったピカソのリトグラフや影響を受けた岸田劉生の油彩なども展示されている。目を引いたのは、クラーナハ《正義の寓意》1537年の大模写コレクション。パズーキというイラン人アーティストが、2011年に中国の深圳(世界の複製画の半数以上が作られているという芸術家村があるとのこと)に100名の画家を集め、クラーナハ《正義の寓意》1537年の模写のコンペティションを行った作品群が一堂に展示してあるのである。似てるもの、全然似てないもの、いろいろあるがこれは、一見の価値あり。

(クラーナハ展のツイッターから)
今回は、金曜日の夜間開館時間帯に出かけたので、余裕を持って見られた。ただ、いつも同じことを書いているのだが、夜間開館は何とか9時までお願いできないだろうか?8時閉館は仕事を定時に終えて駆けつけても、あまりにも忙しい。今回も後ろ髪ひかれる思いで、会場を後にした。