ネットの無料映画GYAO !で、昨日「太陽の季節」(1956年)、今日「嵐を呼ぶ男」(1957年)と、日活110周年記念映画を観た。
65、6年前の映画で、冷静に考えると、今とは、新生児と前期高齢者との年月の開きがある。
ほぼ人間の人生と同じくらいの長さだ。
当時の日本は戦後まだ11、2年で、娯楽に飢えていた時代、映画が黄金期に突入した時代だ。
ちなみに私はその頃2、3歳だったので、当然2作とも観ていない。
今は亡き父親や母親にとっての青春映画だったはずだ。
「太陽の季節」は長門裕之と南田洋子、「嵐を呼ぶ男」は石原裕次郎と北原三枝の共演で、前者に至ってはモノクロだ。
どちらも共演者同士がのちにおしどり夫婦となるのはご存じの通り。
前者は石原慎太郎の芥川賞小説の映画化で、当時は太陽族ブームの走りになった。
後者は前者の1年後の作品で、「太陽の・・・」では端役だった石原裕次郎が、すでに堂々の主役を張っている。
「太陽の季節」は役者のセリフが驚くほど早口で、難聴気味の私には、半分以上聴き取れなかった。
確たるストーリー性もなく、また半世紀以上も前のモノクロ映画ということもあり、拍子抜けだった。
しかし、当時は賛否両論喧しく、社会現象にまでなったというのは、時代背景を考えると頷ける。
それに比べると、「嵐を呼ぶ男」はカラー作品で、エンタメ的要素も満載で、それなりに楽しめた。
肝心のセリフも早口ではなくなっていた。
前者からたったの1年で、映画のレベルが確実に上がっていた。
いずれにしても60年以上前の映画について、あれこれ批評するのは、後出しジャンケンみたいで気が引ける。
どちらもエポックメーキング的な映画なので、とりあえず観ておくことが大切だと考え視聴した次第だ。
65、6年前の映画で、冷静に考えると、今とは、新生児と前期高齢者との年月の開きがある。
ほぼ人間の人生と同じくらいの長さだ。
当時の日本は戦後まだ11、2年で、娯楽に飢えていた時代、映画が黄金期に突入した時代だ。
ちなみに私はその頃2、3歳だったので、当然2作とも観ていない。
今は亡き父親や母親にとっての青春映画だったはずだ。
「太陽の季節」は長門裕之と南田洋子、「嵐を呼ぶ男」は石原裕次郎と北原三枝の共演で、前者に至ってはモノクロだ。
どちらも共演者同士がのちにおしどり夫婦となるのはご存じの通り。
前者は石原慎太郎の芥川賞小説の映画化で、当時は太陽族ブームの走りになった。
後者は前者の1年後の作品で、「太陽の・・・」では端役だった石原裕次郎が、すでに堂々の主役を張っている。
「太陽の季節」は役者のセリフが驚くほど早口で、難聴気味の私には、半分以上聴き取れなかった。
確たるストーリー性もなく、また半世紀以上も前のモノクロ映画ということもあり、拍子抜けだった。
しかし、当時は賛否両論喧しく、社会現象にまでなったというのは、時代背景を考えると頷ける。
それに比べると、「嵐を呼ぶ男」はカラー作品で、エンタメ的要素も満載で、それなりに楽しめた。
肝心のセリフも早口ではなくなっていた。
前者からたったの1年で、映画のレベルが確実に上がっていた。
いずれにしても60年以上前の映画について、あれこれ批評するのは、後出しジャンケンみたいで気が引ける。
どちらもエポックメーキング的な映画なので、とりあえず観ておくことが大切だと考え視聴した次第だ。
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