★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

人生のドン底のあの頃

2025年02月13日 11時36分50秒 | 徒然(つれづれ)
 基本能天気な性格の私にも、今思い返せば人生ドン底の時期があった。
 それは1年の留年後、大学を卒業して就職した時期だ。

 折からの就職難の時代で、3月の年度末になっても就職先が決まらず、かといって、もう1年留年するわけにもいかず、学生課に泣きついて、小さな石油製品販売会社の支店を紹介され、しかたなく就職したんだよね。

 その支店は支店長以下、係長と平社員、事務のパートの女性の4人の所帯で、業務はクルマの添加剤のルートセールスだった。
 就職活動中は大手企業ばかりを狙っていた私にとっては、忸怩たる思いだったね。

 会社に紹介されたアパートは、木造二階建ての単身12世帯、駅から坂道を10分の古びた年代物の物件だった。
 畳の六畳間で、風呂なし、トイレは共同で、それも昔の小学校のトイレ然としていた。
 風呂は、アパートから15分ほどの銭湯だ。
 部屋には学生時代から使っていたコタツとファンシーケース、水屋を持ち込んだだけだった。
 
 社会人としてのスタートが、学生下宿にも劣るような、そんな殺風景なオンボロアパートだったんだよね。 
 通勤はドアツードアで40分ほど、降車駅から会社までの間に繁華街があり、それが唯一の慰めだった。

 就職してからは、毎日、クーラーもついていないライトバンに添加剤を満載して、ガソリンスタンドやカーディーラーを回っていた、
 就職当初は、どこの会社でも営業からという思いで、それなりに真面目に仕事をこなしていた。

 しかし、1年も経ち仕事に慣れてくると、こんな状態でいいのかという疑問が湧いてきた。
 こんな仕事をずっと続けるのか、こんな小さな会社に未来はあるのか、俺の人生はどうなるのか、という思いは年を追うごとに強くなった。

 就職して5年半が過ぎた頃、我慢も限界に達し、転職活動を開始し、新聞広告で見た会社に応募して、運よく中途採用された。
 その会社が、バブルの時流に乗り、東証一部まで急成長したんだよね。

 仕事も以前の営業から仕入業務へと180度変わり、完全週休二日制で年収は大幅アップ、福利厚生は充実、仕事は楽チンと、いわばドン底から我が世の春へのサクセスストーリーだ。
 仕入れた商品はバンバン売れるし、夏冬のボーナス以外に、結構な報奨金は出るし、海外出張や英会話スクールにも行けたし、言うことなしのサラリーマン生活だった。

 そこで定年退職まで勤め上げた。
 一応、管理職の末席の課長まで昇進したので、終わり良ければすべて良しの心境だね。

 前の会社に居続けていたら、どうなっていただろうと思うと、今でもゾッとする。
 ちなみに、その会社は存続はしているが、相変わらず、名もない中小企業のままだ。


ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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