前回の続きです。
「いのちの食べかた」でさまざまなシーンに遭遇して
つくづく思ったのは、動物に対する思い・反応と、
魚に対するそれがかなり違うということ。
考えてみれば、魚は切り身の場合もあるけれど、
多くの場合、魚としての形が残ったまま、
それを箸でつついて食べます。
魚は日本人にとって身近な存在でもあります。
映画の中でも魚のシーンは
うわぁ~っとびっくりする感じはありませんでした。
それに対して牛、豚、鶏が出てくるシーンは
わわわぁーーー、という感じ。
目をそむけたくなるようなシーンが
たくさんありました。
魚よりずっと大きくて、人間に近い(種として)
存在であることも大きいと思います。
また、動物が食肉になる、その過程を
普段は接する機会はそうあるものではありません。
形を残したまま料理されることも
日本ではほとんどありません。
あああ~、こうやって書いていたら、
アメリカのサンクスギビング(感謝祭)を思い出しました。
ターキーを丸ごと焼いて、切り分けていただく、
そういう場合は形そのものを目にします。
ちょうどいまごろですね、サンクスギビング!
売り場でも食卓でも、すでに元の全体の形を残していない、
そうなると、それがどうやってつくられたか
分からないままということです。
食に関心が向けられているいま、
自分の口に入るものがどういう過程で
自分のところまで来たか、
できるだけたくさんの機会を捉えて知っておきたいですね。
それには「いのちの食べかた」はオススメです。
「いのちの食べかた」でさまざまなシーンに遭遇して
つくづく思ったのは、動物に対する思い・反応と、
魚に対するそれがかなり違うということ。
考えてみれば、魚は切り身の場合もあるけれど、
多くの場合、魚としての形が残ったまま、
それを箸でつついて食べます。
魚は日本人にとって身近な存在でもあります。
映画の中でも魚のシーンは
うわぁ~っとびっくりする感じはありませんでした。
それに対して牛、豚、鶏が出てくるシーンは
わわわぁーーー、という感じ。
目をそむけたくなるようなシーンが
たくさんありました。
魚よりずっと大きくて、人間に近い(種として)
存在であることも大きいと思います。
また、動物が食肉になる、その過程を
普段は接する機会はそうあるものではありません。
形を残したまま料理されることも
日本ではほとんどありません。
あああ~、こうやって書いていたら、
アメリカのサンクスギビング(感謝祭)を思い出しました。
ターキーを丸ごと焼いて、切り分けていただく、
そういう場合は形そのものを目にします。
ちょうどいまごろですね、サンクスギビング!
売り場でも食卓でも、すでに元の全体の形を残していない、
そうなると、それがどうやってつくられたか
分からないままということです。
食に関心が向けられているいま、
自分の口に入るものがどういう過程で
自分のところまで来たか、
できるだけたくさんの機会を捉えて知っておきたいですね。
それには「いのちの食べかた」はオススメです。