天川村へは、天河大辨財天社を訪れる目的で行ったわけですが、
天川村そのものにすっかり魅了されてしまいました。
関西の人たちにとっては、日帰りでBBQしたり、登山したり、
キャンプしたり、温泉に浸かったり、もちろん神社に参拝したりと、
車で気軽に訪れる場所、大自然に触れられる場所、
そんな存在なのでしょうが、
関東に住む人にとっては、遠い場所。
そもそも天川村がそういう場所だということは
関東の人はほとんど知らないと思います。
実際、今回、天川村自体の情報はほぼ知らずに行きましたが、
バスを降りて、すぐ行った宿で天川村について説明を受け、
いかにいいところか、よく分かりました。
以下、二つの宿で伺ったお話をまとめておきます(自分用メモ)。
素泊まり専門の宿Wellの主は、元中学校英語教師。
長年、体当たりで生徒指導に力を注いでいた、素晴らしい先生だったようです。
何か問題を起こした生徒がいれば、時間など関係なく、
親に会いに行ったり、電話したり。
校長も経験して定年退職したあとは、全く違う仕事に挑戦すべく、
八百屋さんの配達の仕事を3年ほどしました。
退職する前に、次の仕事先を決めていたのはお見事です。
宿を始めるきっかけは、元々両親が住んでいた家が
両親が亡くなって空き家になっていたこと。
物が捨てられない世代が住んでいた家は物であふれていたものの、
何カ月もかけて片付けて、
空き家を活用すべく、素泊まりの宿をオープン。
家族と住んでいる家は車で1時間以上離れた場所にあり、
予約が入った時にこちらに来る。
郷土料理ともいえる茶粥をぜひ食べてもらいたいから、ふるまっている。
宿を始めて最初の年は、関東の人が8割、今でも7割ほど。
不思議に思っていたら、ある時、お客さんが、
南北朝の南朝はこのあたりに来ていたが、
南朝のかなりの人たちが関東に逃げたこともあり、
それで関東と関係が深いのではないか、と言っていた。
家は8LDK(1階4部屋、2階4部屋)の広さ。でも、このあたりでは大きな家ともいえない。
現在は、1階1組、2階1組だけ受けている。
東日本大震災があった年、2011年9月に台風12号の影響でこの地域で大きな水害が起こって、
この家も1階が全部水に浸かってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/47/dcc7a1140a56525a06046a4c2acb23ba.jpg)
対岸にあるのが宿。川の水面からはかなり離れていて、
高いところに建っているように見えるものの、
その時には、下流で山が崩れて川を完全にせき止めてしまって、
あっという間に水があふれてしまった。
神社の太鼓橋も浮いてしまったほど。
両親は2階に避難して、ヘリコプターで救助された。
水は2日引かなかった。
その水害があったため、1階は大きくリフォームした。
子どものころ、神社は子どもたちの遊び場で、毎日遊んでいた。
その時の神社は荒れ放題で、窓ガラスは割れたままだったりした。
もちろん、外から人が訪れるような神社でもなかったが、
宮司さんが天啓を受けたのか、これではいけないと、再建に力を注いだ。
小学6年の時、友だちと2人、来迎院で天女が10人ぐらい舞っているのを見る、
夢のような体験をした。
今でこそ、下市口からバスで1時間ほどだが、
子どものころは道路事情が悪く、3~4時間はかかっていた。
高校へは通えないので、中学を卒業すると、みんな村を出ていった。
村での仕事は、役場や学校など限られているため村に戻る若者は少なく、
この村でも過疎化は進んでいて、4000人ほどいた人口は、今では1200人。
下市口駅の商店街も昔は随分賑わっていたが、
今では少し離れたところにある大きなスーパーへ行く
(このあたりの事情は、旅先で何度も聞いたことがあるお話です)。
宿を始めてから、いい人ばかり来る
(私見:何十年も生徒指導に力を注いできた結果だと)。
本当にいろいろなことを教えていただきました。
お金のためにやっているわけではなく、ご本人も本当に楽しそうにやっています。
もちろん、年金生活者の余裕、なのでしょうが。
ぜひまた泊まりに行きたい、そう思わせる素敵な宿でした。
天河神社の境内にあるペンションミルキーウェイは、
考えてみれば、宮司さんのお宅(道路の向こう側)より神社に近いわけですね。すごいわ。
元々、林業をやっていたが、30年前にペンションを始めた。
以前から民宿は何軒かあったものの、ふすま一枚で隔てただけの部屋で、
鍵もなく、間違えて違う部屋のふすまを開けてしまったりと、
そんなことも耳にしていたので、鍵のかかる個室のあるペンションを作った。
最初のころより最近では人が増えてきた。
ここでもやはり関東の人が7割ぐらい、そのほか、
岡山、広島や九州、北海道からもお客さんが来る。
リピーターも多い。
神社の大祭がある時などは、神社から何部屋か押さえてほしいと言ってくる。
能楽奉納がある時などは、その出演者や関係者が泊るため貸切になることもある。
リピーターが泊れないこともあり、申し訳なく思っている。
バスは本数が減ってしまっているが(明らかに赤字路線)、
村が助成しているため、路線が廃止とならずに続いている。
そのため、冬など乗客がいなくても、空で、とにかく時間通りに走らせている。
廃止となってしまうと、観光客が来られなくなってしまう。
隣の村は助成がなく、もうバスが廃止となっている。
昼間の便(午前から昼)がなくなってしまっているが、
チェックアウトしたお客さんが乗れるような時間帯のバスを
要望している。要望を出しているが、無理のよう。
朝早い便は高校生が利用している。
神社前のカフェで聞いたお話。
バス待ちの人のために20年前にお店を始めた。
食事を出すことは考えているが、まだ実現はしていない。
基本、土日営業で、それ以外の平日は様子を見ながら営業(基本、休み)。
と、実にいろいろなお話を伺うことができました。
下市口までの1時間のバス旅は実に楽しく、
幹線道路から細い道に入って、集落の中をくねくね走ったり
(乗って来る人はいないけれど、平日の朝、高校生が利用しているかも)、
峠越えしたり、坂道を延々下ったり、いきなり視界が開けていい景色が広がったり、
対向車が来たらすれ違えないような細い道を随分走ったりしました。
その延長で言えば、田舎風景が延々続く、単線の近鉄吉野線の旅も
楽しいものです。
長崎~五島列島、水輪、天川村と、
中味の濃い、濃すぎる旅が続いています。
旅は楽しいですね~。ほんっとに。
もう次、いつ天川村へ行こうかと、考えちゃったりして。
天川村そのものにすっかり魅了されてしまいました。
関西の人たちにとっては、日帰りでBBQしたり、登山したり、
キャンプしたり、温泉に浸かったり、もちろん神社に参拝したりと、
車で気軽に訪れる場所、大自然に触れられる場所、
そんな存在なのでしょうが、
関東に住む人にとっては、遠い場所。
そもそも天川村がそういう場所だということは
関東の人はほとんど知らないと思います。
実際、今回、天川村自体の情報はほぼ知らずに行きましたが、
バスを降りて、すぐ行った宿で天川村について説明を受け、
いかにいいところか、よく分かりました。
以下、二つの宿で伺ったお話をまとめておきます(自分用メモ)。
素泊まり専門の宿Wellの主は、元中学校英語教師。
長年、体当たりで生徒指導に力を注いでいた、素晴らしい先生だったようです。
何か問題を起こした生徒がいれば、時間など関係なく、
親に会いに行ったり、電話したり。
校長も経験して定年退職したあとは、全く違う仕事に挑戦すべく、
八百屋さんの配達の仕事を3年ほどしました。
退職する前に、次の仕事先を決めていたのはお見事です。
宿を始めるきっかけは、元々両親が住んでいた家が
両親が亡くなって空き家になっていたこと。
物が捨てられない世代が住んでいた家は物であふれていたものの、
何カ月もかけて片付けて、
空き家を活用すべく、素泊まりの宿をオープン。
家族と住んでいる家は車で1時間以上離れた場所にあり、
予約が入った時にこちらに来る。
郷土料理ともいえる茶粥をぜひ食べてもらいたいから、ふるまっている。
宿を始めて最初の年は、関東の人が8割、今でも7割ほど。
不思議に思っていたら、ある時、お客さんが、
南北朝の南朝はこのあたりに来ていたが、
南朝のかなりの人たちが関東に逃げたこともあり、
それで関東と関係が深いのではないか、と言っていた。
家は8LDK(1階4部屋、2階4部屋)の広さ。でも、このあたりでは大きな家ともいえない。
現在は、1階1組、2階1組だけ受けている。
東日本大震災があった年、2011年9月に台風12号の影響でこの地域で大きな水害が起こって、
この家も1階が全部水に浸かってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/47/dcc7a1140a56525a06046a4c2acb23ba.jpg)
対岸にあるのが宿。川の水面からはかなり離れていて、
高いところに建っているように見えるものの、
その時には、下流で山が崩れて川を完全にせき止めてしまって、
あっという間に水があふれてしまった。
神社の太鼓橋も浮いてしまったほど。
両親は2階に避難して、ヘリコプターで救助された。
水は2日引かなかった。
その水害があったため、1階は大きくリフォームした。
子どものころ、神社は子どもたちの遊び場で、毎日遊んでいた。
その時の神社は荒れ放題で、窓ガラスは割れたままだったりした。
もちろん、外から人が訪れるような神社でもなかったが、
宮司さんが天啓を受けたのか、これではいけないと、再建に力を注いだ。
小学6年の時、友だちと2人、来迎院で天女が10人ぐらい舞っているのを見る、
夢のような体験をした。
今でこそ、下市口からバスで1時間ほどだが、
子どものころは道路事情が悪く、3~4時間はかかっていた。
高校へは通えないので、中学を卒業すると、みんな村を出ていった。
村での仕事は、役場や学校など限られているため村に戻る若者は少なく、
この村でも過疎化は進んでいて、4000人ほどいた人口は、今では1200人。
下市口駅の商店街も昔は随分賑わっていたが、
今では少し離れたところにある大きなスーパーへ行く
(このあたりの事情は、旅先で何度も聞いたことがあるお話です)。
宿を始めてから、いい人ばかり来る
(私見:何十年も生徒指導に力を注いできた結果だと)。
本当にいろいろなことを教えていただきました。
お金のためにやっているわけではなく、ご本人も本当に楽しそうにやっています。
もちろん、年金生活者の余裕、なのでしょうが。
ぜひまた泊まりに行きたい、そう思わせる素敵な宿でした。
天河神社の境内にあるペンションミルキーウェイは、
考えてみれば、宮司さんのお宅(道路の向こう側)より神社に近いわけですね。すごいわ。
元々、林業をやっていたが、30年前にペンションを始めた。
以前から民宿は何軒かあったものの、ふすま一枚で隔てただけの部屋で、
鍵もなく、間違えて違う部屋のふすまを開けてしまったりと、
そんなことも耳にしていたので、鍵のかかる個室のあるペンションを作った。
最初のころより最近では人が増えてきた。
ここでもやはり関東の人が7割ぐらい、そのほか、
岡山、広島や九州、北海道からもお客さんが来る。
リピーターも多い。
神社の大祭がある時などは、神社から何部屋か押さえてほしいと言ってくる。
能楽奉納がある時などは、その出演者や関係者が泊るため貸切になることもある。
リピーターが泊れないこともあり、申し訳なく思っている。
バスは本数が減ってしまっているが(明らかに赤字路線)、
村が助成しているため、路線が廃止とならずに続いている。
そのため、冬など乗客がいなくても、空で、とにかく時間通りに走らせている。
廃止となってしまうと、観光客が来られなくなってしまう。
隣の村は助成がなく、もうバスが廃止となっている。
昼間の便(午前から昼)がなくなってしまっているが、
チェックアウトしたお客さんが乗れるような時間帯のバスを
要望している。要望を出しているが、無理のよう。
朝早い便は高校生が利用している。
神社前のカフェで聞いたお話。
バス待ちの人のために20年前にお店を始めた。
食事を出すことは考えているが、まだ実現はしていない。
基本、土日営業で、それ以外の平日は様子を見ながら営業(基本、休み)。
と、実にいろいろなお話を伺うことができました。
下市口までの1時間のバス旅は実に楽しく、
幹線道路から細い道に入って、集落の中をくねくね走ったり
(乗って来る人はいないけれど、平日の朝、高校生が利用しているかも)、
峠越えしたり、坂道を延々下ったり、いきなり視界が開けていい景色が広がったり、
対向車が来たらすれ違えないような細い道を随分走ったりしました。
その延長で言えば、田舎風景が延々続く、単線の近鉄吉野線の旅も
楽しいものです。
長崎~五島列島、水輪、天川村と、
中味の濃い、濃すぎる旅が続いています。
旅は楽しいですね~。ほんっとに。
もう次、いつ天川村へ行こうかと、考えちゃったりして。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます