虹色仮面 通信

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格闘技世界一決定戦

2010-06-29 08:29:39 | スポーツ
今から34年前のこと。

東京・北の丸公園にある日本武道館で「プロレスラー・アントニオ猪木vsプロボクシング世界ヘビー級現役王者・モハメド・アリ」の格闘技世界一決定戦3分15ラウンドが行われた。

このドリームマッチは、当時のボクシング世界チャンピオンだったアリが「100万ドルの賞金を用意する。東洋人で俺に挑戦する者はいないのか?相手はレスラーでも何でもいい」と(ジョークを)言ったことに端を発する。
当時のアリは「拳でも口でも戦う男」として有名で、当然このコメントもアリ特有のリップサービスなのは承知のことだった。
しかしこのアリのリップサービスに、トップレスラーであったアントニオ猪木が呼応したことで進展。猪木は自らの団体(新日本プロレス)に注目を集め、経営を安定させるのが主な狙いだった。

当初はジョークだとして取り合わなかったアリ側も、新日本プロレス(猪木)サイドの地道な交渉により、ついに対戦が実現した。ギャラは双方610万ドルで合意に達したといわれている。

決戦を10日後に控えた1976年6月16日、アリ陣営が来日。
来日会見では「8ラウンドKO」を予告したが、公開スパーリングで猪木のジャンピングハイキックを見て、目の色が変わった。

その後、再三にわたりアリ陣営はルールの見直しを要求。
結局、スタンディングでのキックは認めないなど、ルールは猪木に圧倒的に不利なものとなった。

そして1976年6月26日、夢の対決は始まった。
いきなりリングに寝そべり、足の甲でローキック(俗に言う「アリキック」)を打ち込むアントニオ猪木。
ルールの見直しにより、猪木にはこれしか攻撃方法はなかった。

15ラウンドのほぼ全てを寝ながら戦った猪木と、何もなす術のないアリに対して、観客は暴動寸前の状況に陥った。
マスコミも「世紀の凡戦」「世界に笑われたアリと猪木」と酷評したが、年月を経るにつれルールが明確になり、試合(特に猪木の戦い方)の評価は高まっていった。
試合後、猪木の「アリキック」によりアリの太ももは激しく腫れ上がり、膝の裏に血栓症を患い、サンタモニカの病院に入院し、ボクシングの試合を延期したといわれる。
その後もアリは入退院を繰り返し、この試合でのダメージが3年後の現役引退の大きな要因になったとまで言われている。

猪木の蹴りによるダメージは確実にアリに蓄積していたが、試合中では足の痛みを晒け出すことなく常に軽やかなステップを踏み続け、その強靭な肉体とプライドに世界チャンピオンのプライドを覗かせた。
対する猪木も、15ラウンドの全てを寝ながら戦い抜く強靭な肉体と無尽蔵なスタミナはのちに賞賛された。
また何度もアリの足を蹴ったために、脛と足の小指を骨折したことものちに判明する。
それだけ壮絶な一戦であったのだ!

入場料金はロイヤルリングサイド席(後援者や関係者のみで、一般販売はせず)が30万円、特別リングサイドが10万円、リングサイドAが8万円、リングサイドBが6万円という異例の金額であったが、その金額に見合ったかどうかは未だにアチコチで論議されるほどだ。

「世紀の凡戦」か?「究極のガチンコ勝負」か?

はっきり断言できるのは、今から32年前だから実現できたドリームマッチのように思う。少なくても、現代では実現不可能な試合(企画)に違いないだろう。