虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

恐るべし

2011-05-07 09:27:16 | グルメ
ネタのようなホントの話。
先日、某焼肉屋で「ユッケ、売れてないんでしょ?8人前頼むから半額にしなさいよ!」と言って、半ば強引に値切って、1人2人前ずつパクついてた大阪のおばちゃん達がいました。
そのおばちゃん達は、ヒョウ柄や獰猛な動物の顔が描かれた衣服で生肉を食べてたんだってさ。
その姿は猛獣のようだったと…。
もしかしたら、共食いかもしれないですね。

大阪で暮らす友人からのメールでした。

名将への道

2011-05-06 07:54:00 | スポーツ
プロ野球の東京ヤクルトが、昨年後半の好調を維持して、昨日現在12勝6敗2分でセ・リーグの首位に位置している。
もしかしたら、小川監督は名将になれるかもしれない。
去年途中から注目していたのだが、選手たちの人心掌握に長けているようだし、なんといっても謙虚で地味な人柄は好感がもてる。
このような人だからこそ応援したいし、大成してもらいたいと個人的に注目している。
ある雑誌の監督ランキングでは、中日・落合監督らを凌駕して1位にランクされていたほど。
台風の目になり得ると予想したが、優勝争いも充分に見込める。
当分、小川監督率いる東京ヤクルトから目が離せない。

今がチャンス!

2011-05-05 09:29:07 | グルメ
GWはどこへ行っても混雑しています。
それは外食店も同じです。
しかし食中毒事件の影響で、焼肉店は概ね空いているようです。
とくに子供連れ(家族連れ)が少ないようで、焼肉店は格好の売り時のあてが外れてしまったようです。
逆転の発想をすれば、焼肉屋へ行くなら今がチャンス。
ただ気がかりなのは、GWに備え仕入れを多くした焼肉店が多いでしょうから、ダブついた在庫の肉の鮮度が落ちること。
しっかり焼いて食べれば大丈夫!
物事は考えようですね。
ps、食中毒を起こした焼肉チェーンの社長、なんか気に入らないなぁ。

個性的な奴ら

2011-05-03 09:00:10 | 乗り物
最近の日本は、社会も人間もモノも没個性化している。
先行き不安な状況の中では、安定=無難を求めるのであろうが、なんとも面白くない。
工業製品の代表格であるクルマ(日本車)も何ともつまらない「優等生車」が多く、興味を示す車種も少ないのだが、その中でも軽自動車は限られた空間で個性を競っている。
ただ個人的には、もっと尖ってても良いような気がするんだよなぁ。
その点、数年前は個性的な軽自動車が多かったですよね。

写真:ネイキッド(ダイハツ)

火を噴く

2011-05-02 08:35:30 | メディア
先日テレビ番組で「顔から火が出るのはホントか?」と検証していた。
マジで顔から火が出るのはマジックじゃないと無理だけど、紅く熱を帯びること=火が出ることとして検証していた。
まぁどうでもいい内容だったが。

そういえば昔、ザ・シークという悪役レスラー(写真)が「火炎殺法(攻撃)」してたなぁ。
仕掛けがあるにしても、火のついたものを敵に投げつけたりしていたから、ある意味恐ろしい攻撃。
今なら、会場の体育館であのようなことをしたら、消防法で団体や選手が罰せられそう。
まぁ古き佳き時代のお話ですな。

参考動画 http://www.youtube.com/watch?v=DmYBB-Bc93o
※1分5秒、1分44秒で「火炎殺法」が炸裂します。

17年前の今日

2011-05-01 09:01:01 | スポーツ
1994年5月1日、日本では「音速の貴公子」と呼ばれた(古舘伊知郎が名づけた?)伝説の天才F1ドライバー「アイルトン・セナ」がイタリア・イモラサーキットでのレース中(=F1サンマリノGP)、高速のタンブレロコーナーで外側にはらみ、外壁に時速300kmでクラッシュしてしまい、緊急で救命措置がとられたが、その甲斐なく34年の命を終えてしまった。

その状況は、NHKでも民放でも番組内の速報でテロップを流したくらいだから、その衝撃の大きさはご理解いただけるであろう。
また、その後の葬儀において母国ブラジルでは国葬扱いとして故人を悼み、はるか離れた日本でも各マスコミでも大々的に取り上げられた。

私はセナの敵役の一人である「ナイジェル・マンセル」のファンだったから、セナ本人に対する特別な思い入れはなかったが、セナのレーサーとしての資質や他を凌駕するスピードには一目置いていた。

実際、80年代後半からセナが亡くなる94年までの日本における『F1ブーム』の中心にいたのは間違いなくセナだったし、彼の死後を受け継ぐ者たちも少なからず影響を受けたのは間違いない。

直接的なファンではない私でも超一流の彼が直面した事故として、鮮明な記憶と大きな衝撃を受け、毎年5月1日になると脳裏にあの事故のことがよぎってしまう。

F1出走回数161レース、優勝41回、ポールポジション(PP)65回、ファステストラップ(FL)19回、ドライバーズチャンピオン3回(88、90、91年)・・・記録を挙げればキリがないくらいのすばらしい成績だ。
当時はピケ、マンセル、プロスト、ベルガーと個性的な好敵手もたくさんいて、今のように特定のドライバーしか勝てない状況ではない中での輝かしい記録は賞賛に値する。

とりわけ、PP65回は2006年ミハエル・シューマッハに記録更新されるまで維持していた歴代1位の記録で、いつも類稀な集中力でPPを取りに行っていた「狩人・セナ」の姿はつい昨日のように感じられる。

彼は世界のモータースポーツファンの中では、記録と記憶を両立させた稀有な存在であったのだ。

いろいろな面で物議を醸すことが多く、何かと問題視されることもあったが、それも比類なきセンスと磨き抜かれたスピードによって、他の者を「力」で圧倒していた。

古今東西問わず「天才」といわれる者は、何かと敵対視されるものだ!
これが「天才」の宿命なのだろう。

日本で言うところのセナの「命日」である5月1日になると、いつもセナの在りし日を脈絡のない形でふと思い浮かべるのである。