Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

「Chunの部屋」もよろしく。メアドもそちらにありますよ。http://aka.gmobb.jp/chuns_room/

私から実家の父へ

2011-06-20 00:46:52 | インポート
父の日


父の日でしたね。
私から実家の父へ

「たけ」さんの書いたメッセージカードと額
家族の写真付きの手紙
家族のビデオ 64本目


送りました。
父から、返事が来ました。
喜んでくれたようです。
よかった。


心をうたれた詩を紹介します。
こんな考え方ができたら、幸せです。







たけさんをご存じない方へ

たけのメッセージカードから
抜粋です。
私が好きな詩です。



「幸せ者」

大病した者は これ幸せ者でございます
当たり前が どれだけありがたいものだったかと悟ったから

心を病む者は これ幸せ者でございます
がんばらない勇気を知ったから

ガンをわずらった者は これ幸せ者でございます
正しい心の持ち方と正しい食事を知ったから

商売を失敗した者は、 これ幸せ者でございます
商売とは人様に喜ばれるものだったと気づいたから

幼い子供が逝った親は これ幸せ者でございます
神に近い魂と一緒に暮らせたのだから

苦難を背負っている者は これ幸せ者でございます
今までの自分が発した悪想念(業)を清算してくれたから

絶望を体験した者は、これ幸せ者でございます
この世に乗り越えられない試練はないと知ったから

本当の幸せは、先に、不幸の形でやってくるのでございます。
ゆえにこの世で『不幸』と言われるものはないのであります。







たけさんの プロフィール
のご紹介


2001年の秋、突然襲われた脳梗塞の後遺症で、聴覚障害に失語症、さらに利き手の右手が麻痺。音楽を聴くこと、ギターを弾くこと、歌を歌うこと・・・自分にとって一番大切だったものが奪われてしまったたけさんは、「もう死んだ方がましだ」という絶望に繰り返し襲われ、命を救ってくれた友人にさえも、「どうしてあのまま死なせてくれなかったんだ!」と心の中で叫ばずににいられなかったといいます。
ところが、数ヶ月後まだ絶望の真っ暗闇にいたたけさんに、突然一筋の光として入り込んできた映像。それは、以前観た北野武監督の「HANA-BI」の中で、半身不随になった警察官が絵を描いていたシーンでした。実際には、ビートたけしが原付事故後に描いたという、その力強い絵を鮮明に思い出したたけさんは、「そうだ、絵を描いてみよう」とスケッチブックに筆を走らせてみました。すると・・・・信じられないことに、利き手ではない左手でスラスラと絵を描くことができるではありませんか。

その時の感動は今も忘れることができません。なにもできなかった自分に、「絵が描ける!!」。嬉しくて嬉しくて、毎日毎日描きました。

さらに、たけさんを救ったもうひとりの存在は、小林正観さんでした。発病前から宇宙と人間のつながりを探求していたたけさんは、正観さんの著書も読んでいたものの、実際に教えを実践するには至っていませんでしたが、病に倒れ、すがるものもないまま、ただひたすら「ありがとう」の言葉を繰り返しました。「難」があるから「有り難う」。困難の時こそ「ありがとう」。最初は言葉ばかりの「ありがとう」が、実践するうちに、その言葉のパワーに触れ、感じ、本当にこころから感謝の気持ちが溢れてくるようになったといいます。

そして今、たけさんは日本一無口な絵描きとして、感謝のこころを絵と詩で表現し、生きているということの素晴らしさ、"有り難さ"を私達に伝えています。京都市内でのストリート販売から、今や全国各地で個展や「日本一無口な」講演会を開くなど大活躍中のたけさんは、とにかく明るくってユーモアいっぱい。そんな生き方に多くの人々が共鳴し、たくさんの元気と勇気をたけさんの描く絵からもらっているのです。

「小さな子どもの頃から、ありがとうのパワーを知ってほしい。だから、小学校や中学校、高校などに無償で講演に行っています」というたけさん。無口なたけさんのメッセージは、絵と詩と、そのこころに乗せられて、大きく大きくどこまでも広がっていくようです。

参考リンク:
http://www.binchoutan.com/arigato/take.html


コメント (2)
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