Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

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脚延長術のリスクについて

2020-09-12 23:56:00 | 義肢装具や関連のお話
かなり前にも散文的に書いたことがあるけれど、あらためて
脛骨欠損症や腓骨欠損症
脛骨形成不全や腓骨形成不全
という先天性疾患に対して
たまに提案される
「脚延長術」について書いてみたい。

ちょっと躊躇うが、いまなら書ける。
批判ではないので冷静に読んでほしい。

まず、この治療法
世界的にいうと日本以外ではまず聞いたことがない。これは事実。

次に関東地方では今はあまり行われていない。
何故かというと、今から15年以上前に、心身障害児総合医療療育センターにおいて、当時の実質的長であった先生が「予後が悪い」ということで積極的に勧めなくなったから。理由は切断、離断例に比較して、予後が悪いから。シンプルだ。
それまでに20年間くらい、脚延長を推進してきて、圧倒的症例数を持つ病院の方針転換。この意味は重い。

でも、その術式を未だに続けている地域がある。東京の術式を引き継いでいた先生方だ。
私も娘のことを相談しにいったが、関西、中国、九州、北海道くらいだろうか。

悪いとは言わない。
日本の風土として、「ある状態を受け入れる。生まれ持った形を受け入れてあるがままに育てる」ということが是とされるのは、よくわかるし、いいと思う。
でも、リスクを知らないでその道に進むのは危険だ。
果たして、その術式を進める病院の医師はリスクの説明が不十分なことが多い。

私から言わせれば、怠慢だ。
聞かれなかったからで答えなかった。で済まされる問題ではない。
でも、医師のやることには、医師も義肢装具士も違をとなえることはできない。それが日本。
なので、あくまでも私見として、リスク要因を書き留めておく。
どうか、脚延長術を受ける方は、以下の点について、しっかりと確認してから、手術に臨んでほしい。



リスク要因とわたしが考えること(私見)

①脚延長期間中の治療用装具をつけた状態での通学困難、痛み、起立姿勢や歩行運動ができないことによる筋肉低下。継続する痛みによる治療へのモチベーション低下。学校に行けないことによる学業の遅れや友達関係。

②一回あたりの脚延長長さの曖昧さ。学齢期において、それを定期的に頻回繰り返すことにより、諦めなければいけないことの多さ。

③脚延長を何回も行い、健足側と長さが揃ったとして、その状態での不自由さがどの程度かの説明がないこと。足首が動かないためのリスク。骨が細く弱いことのリスク。筋肉がつきにくいために見た目の差ができることのリスク。運動は難しいことなど。

④年を取るにつれて、普通でも膝や足首は痛みやすいが、脚延長で無理がかかるために早く足に寿命が来る(車椅子適用になる)可能性としてのリスク。

⑤治療半ばでなんらかの原因で脚延長術を諦めた場合のどうしようもなさ。切断や離断は、2歳半を超えれば自分の足を認識するので喪失感が生まれるし、7歳くらいを境にあるはずのない足が痛む幻肢痛というものが発生しやすい。また、10歳を超えてからだと、義足を杖なしで使いこなすのがかなり難しくなると言われている。
概して、温存療法を進める先生はその事実を知らない。

⑥切断、離断した場合との比較論がない。つまり、温存療法を進める先生には切断、離断をして幼児から義肢装具を履いている患者の予後を知る機会がないために知識がない。だからして、患者にそれを伝えられない。

①から④まで、果たしてきちんと医師が評価しているのか。説明しているのか。
それを確認してみていただきたい。

また、⑤⑥は、温存療法を勧める先生にきいても無駄なことが多いが、セカンドオピニオンとして確認していただいた方がいい。

ちなみにわたしは15年前、これらを温存療法の医師に徹底的に聞き、最後には医師がわからないと言い出して。
そんな無責任なことはないと思い、その後も調べ尽くして、温存療法が完了した患者さんの歩行状況などを見せていただいたりもした。
その後も当時の主治医の先生に何ヶ所かの意見を持ち寄り分析して、比較検討した上で、娘の治療法を決めた覚えがある。
当時は情報がなくてキツかった。家族がバラバラになりそうな中、歯を食いしばり、全国を回った。先生ごとに、こんなにいうことが違うのかと呆れ果てた。

なんというか。
私たちのように、情報がなくて迷子になり、擦り切れそうになるくらいまで悩む家族が減ることを望む。


追伸

決して、温存療法や脚延長術を否定する意図はないことをどうかご理解いただきたい。
全てを理解した上で、やはり切断、離断は嫌だという家族がいることも知っているし、その決断をした以上、それが最善だと思う。
ただ、わたしが思うのは、「こんなはずではなかった」という両親の心の叫びを、もう聞きたくはない。
その一心である。

コメント
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