雨の一日

2012年03月02日 | Weblog


 バッテリーと言っても、私の話は野球のピッチャーとキャッチャーのことではありません。自動車の電池のこと、つまり車のバッテリー。

 最初から脱線してしまいますが、この野球のバッテリー、つまりピッチャーとキャッチャー、と電源のバッテリーは語源は同じのようです。スペルは battery です。短くして説明すると、こじつけのように取られますので省略しますが、その車のバッテリー。つまり蓄電池に関して、昨日のブログに軽トラがえんこしてしまったという話でしたが、修理工さんの話では古くてだめになってしまったそうです。それで新しいのと交換してもらいました。

 これでまた楽しく田舎道をトコトコと走れます。田舎には軽トラが合う。

   


   


   


   

 朝は降っていなかったのですが、「 おはよう 」 より 「 こんにちは 」 と言う挨拶の方が合う頃からポツポツと降ってきて、完全に雨の一日となってしまいました。異常乾燥は終わりですがインフルエンザは下火になってくれると良いのにと思います。

 先日の雨の日はウォーキングマシンに乗って歩いたり、廊下を歩いたりして一万歩あるきました。今日は、大きなショッピングセンターに行って、ただひたすら歩き一万歩あるきました。歩数にはちょっとこだわりがあります。歩けという医者からの健康のアドバイスがありましたので、それに従っているわけです。

 過激な運動やランニングは、若い頃より規則的にやってきた人なら良いでしょうが、適当にやってきた人は歩きが一番良いし、危険なことが無いということです。危険を避けるというのは、交通事故などから身を守るということとはまた違って、この場合、心臓や血管やその他の器官などへの配慮のことです。

 静かに体を燃やせということなんでしょうかね。あとは、くよくよしたり他人との関係を円滑にすること。つまりストレスを避けることなども大切なのだそうです。人生いろいろありますからね。なかなか難しい課題です。

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   魚(うお)は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。
   鳥は林をねがふ(願う)、鳥にあらざればその心をしらず。
   閑居の気味もまたかくの如し。
   住まずしてたれか(誰か)さとらむ。

       魚は水に飽きることはない。魚で無いとその気持ちは分からない。
       鳥は林を好む。鳥でなければその気持ちが分からない。
       世俗を逃れて心静かに暮らしたい気持ちも同じことだ。
       わび住まいしている人でなければ分からない。
                                          鴨長明  『方丈記』