大変だった麻生藩

2013年01月20日 | Weblog


 天気は良いし、風もさほどは吹いていなかったので、ちょっと出かけてみました。 

 

 日本で、二番目に大きい霞ヶ浦です。西の方に筑波山がかすかに見えています。ここは昔は帆掛け船でワカサギ漁をしていたので有名です。今でも、ワカサギ漁は盛んに行われています。

      

         今は時々観光のために帆掛け船が出るときがあります。

 

 その霞ヶ浦7のほとりに麻生(あそう)という町があります。今は町村合併で、行方市(なめがたし)と名前が変わりました。麻生という名前は奈良時代の頃からある地名です。

 江戸時代。麻生藩という一万石の大名だったのですが、初期の頃から財政難に悩まされ続けたそうです。一揆が何度も起こったとか。たった一万石では大変だったことでしょう。
 これは家老宅だったそうで、当時のままの姿で残っていたのだそうです。当時は立派な造りでしたでしょうが、さほど大きな家ではありませんでした。

 
 
 

 麻生からはさほど離れていない鹿島神宮に参拝してきました。鹿島神宮は、参拝客が多くて今でもお参りする人たちの長い行列が続いていました。
 鹿嶋ですから、鹿がいます。ここの鹿はその昔、奈良まで一部が移されたそうです。今の奈良公園の鹿はその子孫だと思います。奈良公園にある春日大社は、この鹿嶋にいた中臣氏、のちに藤原氏のお宮ですので、それで移されたのかも知れません。

 天気が良くてとても歩くのには良い日でした。