しぐれ

2006年11月15日 | Weblog


今日は午後も遅くなってから、やや時雨がかってきました。ポツリと二つ三つ雨粒を頬に受けましたが、それで終わってしまいました。風は起こりそうで起きませんでした。

しかし、曇ったせいか日暮れが早かったです。母が今日から10日間のホーム滞在で行ってしまったので、私ひとりと猫だけです。少し高い所があり、低いところもあるので、高いところから低いところまで一輪車で数台土を運びました。雑草がありますから、ドサッと置いてから軍手をはめた手で土をかき回して、草や根っこを取り除きます。

平らになるのはいつのことやら。おそらくならないでしょうね。出来れば近いところをやや高くして、遠いところに雨水を持っていきたいです。もともとの地形を変えるというのですから、たいへんです。機械があればすぐなのですが。でも、何でもすぐに出来てしまうというのも危険ですね。なんちゃって負け惜しみ。

            

これは時雨の写真ではありませんが、まあこんな感じになりました。一人の夕暮れ時は寂しいですね。この土地で育ったものですから、元気だった頃の父母を思いだして、特に父は他界してしまったので、まだ私が幼児のころ、このあたりで高い高いをしてくれたんだとか、このあたりで私が作った落とし穴にわざと入ってくれたんだっけなんて思い出して、少ししんみりしてしまいました。

押しとどめようにも、するりと抜けてどんどん進んでいってしまう時間。うれしい時もありますが、だんだん年を取ってくると行動的であったのが、逆に受け身の立場になります。すると、どんどん変わってしまうのが、恐ろしい気がします。子供たちも大人になって、それぞれの道を歩んでいます。これはうれしいことです。が、ちょっと寂しい。ま、これはしかたありませんね。

少々私の気持ちも時雨れてしまいました。       さて、

蕪村にはほど遠いですが、せっかく結城まで行って来たんですから、二つ三つ作っていました。ご笑覧ください。

    秋の日を浴びて渋柿残りけり

    秋風をたもとに入れてひとつ暮れ

    暮れゆきて訪める人なし枯れ尾花

 


与謝蕪村ゆかりの地を歩く 結城

2006年11月14日 | Weblog


  結城市立図書館

  三つの句 
   http://blog.livedoor.jp/potatojaga/ を参照してください

  昔よくあった自転車預かり所

  八百屋さん

  造り酒屋? 醤油屋?

  造り酒屋

  弘経寺

  肌寒し己が毛を噛む木の葉経
            弘経寺境内

  ゆく春やむらさきさむる筑波山(つくばやま)
         結城城址公園                                 

  夜すがらやゆくにひまどる秋のこゑ
         鬼怒川河畔

        菜の花や月は東に日は西に
           鬼怒川河畔

  鬼怒川河畔 久保田一里塚跡
  この一里塚は道のではなくて水路の一里塚だそうです


都と京(みやことみやこ)

2006年11月13日 | Weblog

一昨日、京も都もみやこだという話をしましたが、偶然というのは恐ろしいというのか、面白いというのか、それともおかしいというのか、酒井順子さんという人が「都と京(みやことみやこ)」 という本を書いていたんですね。昨日の朝日新聞に読書という本を紹介するページがあるのですが、そこに出ていました。もっとも、その紹介の文を読むと、この場合は東京と京都のことを書いているようです。現代風に言えば「東京 VS 京都」というところでしょうか。

忘れなかったら、読んでみようかなと思っています。一つの文化論でしょうか。東京と京都ではずいぶん違いがありますが、そういう互いに強いクセのような町があることが楽しいです。あちこちに、個性あふれる町があることは良いことですね。何処へ行っても同じだというのではつまりません。たとえ行かなくても、個性あふれる町があるということを知っているだけでも楽しいものです。

          

竹下内閣の時に、ふるさと創生の政策があってからしばらく経ちますが、その評価はどうだったでしょうか。私は、あれはかなりの刺激があったのではないかと思います。あれ以来、ふるさとを何とかしよう、ぜひすばらしいふるさとにしよう、なにか特徴のあるふるさとを作ろう、、、、などの意識が国民全体に強く根ざしたのではないかと思います。とびっきりすごい政策ではないと、誰もが思ったでしょうが、じわりじわりと我々の心の中にしみ込んで、いまでも地下水脈のように絶えることなく流れている、すばらしい政策だったような気がします。

自分の町はぜひよい みやこ になってほしいものです。


純ココア

2006年11月12日 | Weblog

どうしてだか分かりませんが、ココアは体に良いそうです。私は、こういうことに関して、切りがないのでどうしてなのかは無頓着にすることにしています。しかし、脂が多いのでどうかなとお医者さんに言われました。

ところが、あるときにテレビをみていたら、ココアは脂肪が多いですが、その脂肪は体に吸収されにくいので、食べた(飲む)方がよいという話を聞きました。そのことを覚えて置いてお医者さんに話をしたら、そうですか知らなかったと言います。それは何から何まではいくらお医者さんでも分かるはずはないですね。

            

それで買ってきました。何も入っていない純ココアです。英語ではココアもチョコレートもどっちもチョコレートと言うようです。おっと、ちょっと舌足らずかな? ココアという物質はココアで、あのカップに入れて飲むのはホット・チョコレートと言うんでしょうか。でも、a cup of cocoa とも言うように辞書には書いてありますが、チョコレートと言いますよね。辞書に書いてあっても、今は言わないなどということは沢山ありますから、簡単にその表現を使うことは、まずは躊躇すべきです。TKさん、実際はどうなんでしょうか。

それで、チョコレートはチョコレートと言うと思います。どうもこういうことは、や辞書などで学習しただけでは分かりませんね。現場ではどう言うかですから。

言葉のことはそれくらいにして、その無糖・無乳のココアを飲んでみました。おいしくない。でも一箱(中は袋になっているから、一袋と言うべきか)買ってしまった。→ これをどうするか。→ 捨てられない。→ なら、おいしく飲む方法を考えよう。→ クリープを入れてみた。一さじ二さじ。→ ん、これくらいなら良いでしょう。

クリープ二さじの中に入っている分の脂肪は摂取してしまうことになりますが、まあそれは無視することにして、それ以来そうやって飲んでいます。結構飲めるものです。ココアは薄めの方がプレーン(に近い状態)では飲みやすいですね。

我慢して飲むという具合ではありません。どちらかというとインスタントコーヒーを砂糖入れないで飲むという感じにやや近いかなという具合です。慣れれば、だんだんにはクリープ無しでも飲めるようになるかも知れません。



※ 野菜作りが主の今までのブログは下記の場所に引っ越しました。

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名前あれこれ

2006年11月11日 | Weblog

ある人がロンドンで、West Kensington という所に行くために切符を買おうとして、「ウェスト・ケンシントン」と言うと「はぁ~?」と聞かれたので、もう一回ゆっくり発音しました。それでもまだ通じないそうです。 その時に、ある話を思い出して、「上杉謙信」と言うと、ハイッっと切符を切ってくれたとか。

嘘だかどうだか分からない話ですが、おそらく現地での発音は上杉謙信という発音に、ごく近い音で言われているんでしょうね。アメリカの進駐軍が日本にいた頃、朝になるとみんながある兵士の古里のことを言います。どうしてオレの古里が分かるんだろうと思っていたら、彼はオハイオ州出身で、朝の挨拶はオハヨーだったので、これまた聞き違え。

         

NHKの番組で知ったのですが、司馬遼太郎は学生の頃、ニューヨークって、どういう意味ですかと先生に聞いたところ、ニューヨークはニューヨークだ。と言われたそうで、納得行かなかったので、帰りに図書館でしらべたら、ヨーク公に因む名前だということを知ったと言います。いくら先生でも、何でも知っておくということは不可能なので、地名の意味などまで知っている先生は、そうはいないと思います。私なら「お風呂に入るという意味だ。」とでも答えたか知れません。

そのヨークってのは、どういう意味なのかまで司馬さんは調べたでしょうかね。そうやって遡っていくと、どこかで行き止まりになります。たぶん「これをこう名付けよう」という所ででしょうか。そこまで行かないうちに分からなくなってしまう言葉もたくさんあります。由来が後世に伝わらなかったからでしょうね。

京都などは、二重に付けた名前ですね。「京」は都で「都」も都ですからね。「みやこ・みやこ」ですよ。考えてみればずいぶんしつこい名前です。東京の方がまともな名前ですね。

クリスマス島という島がハワイとオーストラリアとの間あたりにあります。キリバス共和国の島で、世界で一番早い朝日の拝めるところだそうです。日付変更線近くだということが分かります。このクリスマス島というのは、もう一つあります。オーストラリア領で、これはインドネシアのちょっと南のインド洋にあります。この二つの島は、どちらも偶然クリスマスの時期に発見されたので、そういう名前が付いたとか。キリバスの方はキャプテン・クックが発見したそうです。インド洋の方は命名者は分かっていますが、発見者は諸説があるとか。

それにしても、いい加減な西洋人主体の命名だと思います。原住民の意向が反映されなかったんですね。もっともインド洋の方は無人島だったらしいですが、どこかの国に所属していたのなら、その人たちが呼んでいた名前を尊重すべきだと思うのですが。身勝手なものだ。人ごとながら腹立たしいものです。

今日はこのあたりで。


DVDで映画

2006年11月10日 | Weblog

映画は一時廃れるかと思いましたが、静かに息を吹き返してきて、一カ所にいくつもの映画館が集まっているビルなどが出来るほどになりました。大型ショッピングセンターなどにも、数個の映画館がくっついていることがあります。

昔は、映画館専用の建物でした。もちろん映画館はその建物に一つです。私がいくつの頃かは分かりませんが、最初はシネマスコープと言って、横長の大型スクリーンの映画館がほとんどになりました。しかし、これも私が高校生の頃だったんでしょうか、アメリカのマイケル・トッドというエリザベス・テイラーの旦那だった人がトッドAO式という超大型画面の映画を作ってから、映画館がどんどん大きくなっていきました。

映画は普通は幅が35ミリのフィルムを使います。その下は16ミリ。この映画を映せる免許を私は持っています。その下が一時アマチュアの間で流行った8ミリです。それで、その35ミリの倍の70ミリのフィルムを使った映画ができはじめました。幅があればもちろん高さもそれに比例して高くなり、要するに元の画像が大きくなるということですから、拡大してもぼけないということです。

それで撮った映画が流行りました。大型映画です。ミュージカルとか史劇などは好んで撮影されました。映画は絶頂期を迎えました。しかし、悲しいことにだんだんテレビが普及してきて、ごろ寝をしながらでも、ビールを飲みながらでも、家に居るんだから帰る心配の必要がないテレビで間に合わせる人が増えたわけです。しかも安いし、チャンネルはいくつもある。

まあ、映画の歴史をここで長々と言ってもしかたないですが、そんな映画が下火になったのに、見事にカムバックをしとげつつあるというのは、なかなか良い傾向だと思います。良い映画ができる機会が増えるわけですからね。でも、もう若い頃のような情熱はなくなってしまいました。沈静期間が長すぎました。

                                                                   これは25枚くらい入ったスピンドル


私は、家にいて、画面が小さくても、音声に迫力がなくても、テレビの画面サイズで古い映画を見ることにしています。あの暗い狭い座席に、隣の人と椅子の肱おきの権利を無言で争ったり、 人が前を通るたびに膝をひっこめてやったりしながら見るのはいやです。              
                    
しばらく前からCSテレビを8チャンネルほど契約して見ています。少し古いものから、かなり古い映画までいろいろとやっています。しかも一度見逃しても、またやりますから大丈夫。それにNHKの衛生放送も映画をやります。DVDレコーダーと繋いでありますので、内蔵のハードディスクに録画しておけば、時間をおいてもみられます。取っておきたいなと思えば、生のDVDディスクを買ってきて焼き込みをすればよいわけです。

これは遊びです。100枚の生ディスクを買うと、3,000円とちょっとくらいでケースなしのスピンドルという、円筒のケースに積み上げただけの型のが買えます。ですので、一本の映画が30円とちょっとで作れます。知らない人は値段の高いビデオ用のディスクを買ってきますが、私はパソコン用の、つまりデータディスクを買ってきます。できあがりは同じです。ですので、もう数百枚ものディスクを作っちゃいました。映画だけでなく、ドキュメンタリーものや教養ものも多少あります。オペラ、コンサート、ジャズなどの音楽、ルパン三世なんてのもあります。

          

見るか見ないかは、あまりこだわりません。100枚買ったら、使いきるのにずいぶん長い間かかりますから、大した出費ではありません。でも、けっこう見ます。中途で何か用事が出来ても、その続きから簡単に見られますから、それがいいです。ケースがないので、アルバム式の入れ物に差し込んでおきます。ディスクにはプリンターで映画の中から取った画像やらタイトルやらを印刷してありますから、まるで買ったディスクのようです。見るだけでなく、作るというのもけっこう楽しいものです。


名前

2006年11月09日 | Weblog

秋になってきて、雑草も新たに生えるものもありますが、夏ほどではないし、作物も夏から冬あるいは越冬型のものになってきました。春夏ほどは種まき植え付けも少ないので、体はずっと楽になってきました。まだ裏山の立木を20本前後倒さなければならない仕事がありますが、それは少しずつやればよいですから、気分はゆとりがあります。

そうなると、ゆとりができて、景色を眺めたり、部屋の片づけを少しずつやったり、読書も少しできるようになったりと、生活模様が多少変わってきます。

このところ天気が続きますね。二三日前は朝のうちにパラパラと雨粒が落ちてきましたが、傘をさすほどでもなかったので、作業ができました。その後はすごい風になりました。北海道では、すごい竜巻が起こって9人も亡くなってしまったとか。みなさん、働き盛りですし、家族の方もさぞやたいへんなことと思います。

          

本屋さんに行ったら、人名と地名の由来の本を売っていました。手にとって見ませんでしたし、買いもしませんでしたが、帰り道に思いついたことがあります。

アメリカ人に会うと、最初は遠慮していますが、そのうちに雑談が続き気持が互いにゆるんでくると、「気味の名前の意味は何なの?」と聞くと、ほとんどの人が「分からない。」とか、「名前に意味はない。」などと言います。「僕の名前はポールだけど、母がポール・マッカートニーのファンだったから。」なんていう人もいました。ではその「ポールってなんだ。」と聞くとわからないと言います。

私はそういうことはないと思います。名前ですから、何か意味があるんだと思います。そういう例があるかどうか分かりませんが、父母の名前を一部取って付けた名前は意味が無いかも知れませんが、付け方に意味はあるはずです。

日本人の名前は比較的どういう意味を持っているのか、漢字を使うことが多いのでわかりやすいです。漢字は意味を持っているからです。ただ、読み方がいろいろとあって難しい。歌手の中島啓江さんなどは、なんて言うのかなと思っていたら「けいこ」さんだと言うのです。どうして「江」が「こ」なんでしょう。

私が知っているひとに「さよ(ひらがな表記)」さんという人がいます。その人は、両親の名前を一字ずつもらったとか。さよという名前の人はいますが、その人たち全部がそうではないと思います。かえって、もらってそうなったという人はその人ひとりだけかも知れませんね。

ところでそのポールという名前は、パウロ(Paulo)の英語式の名前で、小さいという意味があるそうです。どうしてそういう名前を付けたかは、聖書やキリスト教に関する本でも読むと出ていると思います。

http://blog.goo.ne.jp/yappi27/e/43c9a1615b51e61526619bcbf533cf83 にはちょっと出ていました。

あまり長くなりますので、このへんにしますが、名前のことはいろいろと考えると、なかなか面白いものがあります。今日はこのへんで。


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太極拳

2006年11月08日 | Weblog

秋ですねー。今日は風は静かです。でも少し冷たい。これくらいなら、まあそよ風と言えるでしょうか。

小麦を蒔こうと思っていましたが、いろいろと用を足している間に時間が中途半端になってしまったので、午後にすることにしました。今年は少しにして、せいぜい2坪くらいにしようと思っています。つまり、来年の種をとるくらいです。種を無くしてしまうと、またゲットするのが難しくなりますから。麦や米類の穀類はなかなか一般の種屋さんに売っていません。そう言えば、モロコシやキビの種も不注意のせいでもあるかも知れませんが、ついぞ種屋さんにあるのを見たことが無かったような。

社会保険センターで、毎週月曜日に太極拳をやってきました。今年で3年目になりますが、さっぱり覚えません。一週に一度では覚えにくいのかも知れません。まあ、本気になって覚えようと言う気持が弱いのかも知れませんね。

その社会保険センターが無くなるんだそうです。この文化施設が廃止とはちょっと残念です。まあ、しかたないですね。教室の生徒(と言えるでしょうね)と先生は、どうなるんでしょうか。フォローは全然ないそうです。

太極拳は年を取ってもそれなりに出来る運動です。少しは覚えて、下手でも良いから一人で出来るくらいまでに、あと数ヶ月でしておきたいものです。果たしてどうなることやら、、、。




閉じこもり?

2006年11月07日 | Weblog

せっかく良い家を作ったのに、休みの日になると外出してしまう家庭が多いみたいです。隣のミニ団地の家庭ではそのようです。もっとも、子供達が小さいうちは、「ねー、どっかに連れてってー。」と、せがまれることも多いでしょうからね。

私はこの頃は年を取ってきたせいか、あまり外出をしなくても、どうってことが無くなってきました。以前もどちらかというと、そういう傾向がややありましたが、家族に楽しんでもらうのも楽しいと思って外出をしたりしました。

          

この頃は、自分の家のある敷地内のあちこちを眺めるのが好きです。南に行けば南の方の風景があります。西に行けば、これまた全く違った光景が見られます。立って遠くを眺めれば一つの絵ですし、かがんで蟻や名前の分からない小さな虫などが動いているミクロの世界も又ひとつの絵です。立体・音・臭い・温度・触覚付きの動画です。

上の写真は古い木の幹ですが、中が傷んで空洞になってしまいました。燃やしてしまうのももったいなくて、そのへんに置いてあります。こんなものでも一つの絵になりますので、しばらく見ていて楽しいものです。

そんなことを思っていると、遠くまで外出して渋滞に巻き込まれたり、疲れたり、危ない思いをしたりしなくても、まあまあ楽しい世界を見ることができますから、わが家が良いですね。

ここまで言ってから少し言い訳を、、。若い人が家から出ないのを「ひきこもり」というそうです。年寄りの場合は「とじこもり」だそうです。私は、外出を毛嫌いしているわけでもないんです。本屋さんに出かけたり、ホームセンターに出かけて、知り合いの店員さんと話をして、いろいろと機械のことを教わってきたり、公開講座に出てみたり、あることで会議があれば出ていって意見を言うし、あるものの編集委員にさせられているので、それに出席して文章を書いたり、校正をしたり、そこで雑談をしたりして、楽しい時を過ごすこともあります。

そんなことで、私はとじこもりの症状ではないと断言したいのですが、さてこの話を読んだ方は、どう診断していただけるかなー。


※ 家庭菜園のブログはこちら

2006年11月06日 | Weblog

子供の頃は、終戦間もなくだったので、遊ぶものがあまりありませんでした。それで、暖かい季節になると、すぐに川にいきました。川にはいろいろな生物が住んでいて、それを取ったり、取ったものを持ってきてバケツに入れて眺めたりしました。

眺めるのは、水に酸素が無くなると死んでしまいますので、どちらかというとあまり楽しくはありませんでしたが、取るという行為はスリルがあったり、子供ながらの工夫があったりして楽しかったです。本能的にハントをするという機能が備わっているのでしょうか。

小学校一年生の時に、今の所に引っ越しをしました。今の所は、子供の足にしては川までちょっと距離があります。周りは畑と山林ばっかりで、川が恋しかったです。いつも、庭の先の方に泉があって、小川が流れ出しているといいのにな、と思ったりしました。無理なことは知っていますが、そういうことを考えるのは楽しいことでした。

大人になってからも魚取りはすきです。釣りはあまりやらなかったので、じっと待っているより、網を持って追いかける方がすきです。それで、今は水槽でも何でも変えますから、毎年夏には少しばかりフナなどを捕ってきて水槽に入れて楽しんでいました。

今年、あまりにも形をなしていなかったので、庭をつくりましたが、庭師さんの提案で池をつくりました。池と言っても、噴水があったり、ゴツゴツとした岩があったりとするような、きちんとしたものではありません。ビオトープです。

さっそく水槽に入れて飼っていたフナやドジョウをいれてやりました。それから、井戸のコガ(コンクリートの円筒の形をしたもので、土がさらさらと井戸の中におちるのを防ぐもの)に底を張り、天水桶としてつかっていたものからメダカを移してやりました。それだけでは彩りがないので、金魚を少し買ってきて入れました。庭師さんも多少持ってきてくれました。

今では、メダカがかなり増えて楽しそうに泳ぎ回っています。まさにビオトープそのものです。作りは簡単です。大きなビニールシートで防水をしているだけです。もちろん、その上に土を乗せてあるので、ビニールは見えませんし、そのために劣化も進みません。壊すのも修理も簡単です。

そんなことで、庭の中に池をつくってあります。水のある所があり、そこに魚が泳いでいるのを見るのも楽しいものです。


10月5日 こちらも同じものを

2006年11月05日 | Weblog


10月5日 慣れないとだめですね~  
     (これはライブドアのブログに載せたものと同じ内容です)

   
長い間、慣れ親しんだgooのブログから離れるとなると、何となく寂しい感じがします。
                                                       
  この頃こんなリースが壁にかかっています。

    ヤーコンのキンピラです。サクサク感があります。ヤーコンは芋ですので、うすい甘みがあります。ゴボウとは歯触りも味も全然違います。

                

二十日大根は、アブラナの中にあるので、「おーい、赤ずきんちゃん、どこにいるの~~?」 という感じで探して取るようです。しかし、二十日大根は赤い根が土の上にでているので、すぐに 「見ーつけた。」 と楽に収穫できます。

とまあ、こんな感じで今日の日記を作ってみたのですが、どうも写真と文字との具合がよくないですね。リラさんのように、写真がある行にも何行も文字を入れるのには、どのようにするのか、これから考えて行かなければなりません。

最後に花です。何かがとまっています。

     


引っ越しをしたライブドアのブログは、同じ 家庭菜園と生活 という名前にしてあります。サイトは http://blog.livedoor.jp/potatojaga/ ですので、ぜひお出でください。これからもよろしくお願いします。


11月4日(土) おだやかな朝

2006年11月04日 | Weblog


今朝は、曇りがちで、ボーっとした感じです。が、しずかな穏やかな一日の始まりです。今朝の一番の仕事は燻炭作りでした。鶏小屋の前を通るたびに、腹を減らした鶏たちが私の進む方向に移動します。「 まてまて、腹を減らすとなんだってうまいんだぞー。 Hunger is the best sauce. って言うじゃないか。」 鶏の耳に念仏とでも言いましょうか。

   

 左の花は雑草です。名前は不明。中央と右はニシキギです。この紅葉はとてもきれいです。実も赤くなってきれいです。この雑木は暖かい地方には無いみたいです。寒い地域はどうでしょうか。

   

ミズナは大きくなってきました。あまり大きくなると固くなりますね。サニーレタスは、普通のレタスがあるので、あまり食べません。せっかくですから、もう食べ始めようと思っています。

さて、今日は母を連れて病院です。こんど転院して、待ち時間の少ないというところにしましたが、お医者さんや看護士さんたちの様子とか、駐車場などどうでしょうか。

 補) 写真をクリックすると、大きな写真が見られるようにしましたが、別なWINDOW
    が開いて見られるようにできないものか、考慮中です。そんなことをしているな
    ら、引っ越してしまった方が良いかなとも考え始めました。


 ※ 引っ越しをしようと考えています。蕎麦は出ませんが、皆さんのブログの側に
    おいてください。


11月3日 三連休の始まりはじまり~~

2006年11月03日 | Weblog


三連休も、まずは穏やかな始まりとなりました。と言っても、せっせと働いている皆さんには悪いですが、私はずーーーっと連休が続いているんですけど。隣のお父さんは、単車でどこかにドライブに行ったようです。残された家族はまだひっそりとしているので、布団の中で白河夜船なのかも知れません。私は、いまゴミ出しに行ってきて、それからもみ殻に火を付けてきました。ゴミはわが家の門のところです。腰がまだ痛むので、今日もゆっくりとしようと思っています。大工さんはあと一日で終わりです。

     先日収穫したカボチャです

おいしかったですよ。9月23日に苗を買ってきて植えたものです。種類は分かりません。「 出来るのかナー。」 と聞いたら、「 出来るんです。」 という答えだったとか。出来ました。大工さんにお茶の時に出したら、よろこんで食べていました。まだ畑にころがっていますね。

     こりゃどうも

取り残されてしまったピーマンがおばあさんになってしまいました。でもきれいでしょう。夏のように勢いよくピーマンを食べるという気分ではなくなってしまいましたからねー。要するに飽きちゃったんです。しかし、このピーマンがなくなってしばらくすると、また食べたくなるものです。

     これは何でしょう

野生化したミツバなのです。雑草を追いやってしまっているようですよ。ここは完全に野草のある区域なのですが、群生しています。ミツバは元気ですね。

     サウイフモノニ ワタシハナリタイ  宮沢賢治


   

       3 X 3 = 9                散っても美しい

    


11月2日 歌を思い出して

2006年11月02日 | Weblog


    ホトトギス

  ほととぎす鳴きつるかたをながむれば ただ有明の月ぞ残れる  後徳大寺左大臣

花ですから鳥とは違いますが、つい思い出してしまいました。

    栗の木にスミレ 枯れ木ではありません

スミレの花は咲いていず、種がはじけたあとですが、、、

 いい(飯)乞ふと我が来しかども 春の野にすみれ摘みつゝ時を経にけり  良寛

良寛さんの歌は良いですねー。(たぶん)托鉢に出たんだけど、すみれに夢中になってふと気が付いたら、アッこんなに時が経っちゃった~~。

    トマト これもさびしくなってきました

    ヤーコン まだまだとれますよー

    オクラ

今年は、この種から育てました。来年の夏も、この種を使ってみようと思っています。


11月1日 燻炭作り

2006年11月01日 | Weblog


実際の旧暦ではちがいますけど、今日から霜月です。もいもいさんのところでは、もう霜が降りたという話です。秋深しというと、すぐに 「 隣は、、、」 と思いついてしまう、その秋が深くなってきましたね。それにしても、昨日は暖かいというより、ちょっと動くと暑かったです。良い秋の日でした。

なのになのに、どうして私の腰が痛いのですか、と言いたい日でもありました。何をしたからという訳ではなく、疲れが溜まったんでしょう。大工さんとの話題は腰のことばかりでした。彼らも年ですから、それぞれ苦労しているようです。

    

古いタイプの洗濯機、二層式というのでしょうか。その脱水機を取り出し、底の部分をちょん切ったものです。それには穴があいていますが、ドリルでその数を増やし、かつ、タガネで穴を大きくしました。

    

それで、買ってきたものとならべて、こんな風にして燻炭作りをやっています。右が自作機。上にブリキの紙くず入れの底を抜いて乗せ、煙突にしています。買ってきたものの方が、下の部分が円錐形になっていて空気が良く入るのか能率的です。

で、出来た燻炭が右側の写真。「 あれが耳成山で、こちらが畝傍山、、、。すると、天の香具山はこっちかな、、、。」 奈良の大和三山のようにみえますね。「 大和は国のまほろば、、。」 いやいや、今は違います。「 日本は世界のまほろば 」 ですよ。なんちゃってね。茨城県もまほろばですよ。そんなことを想像したりしてやっていると楽しいですね~~。

           
            山辺の道から  これこそ大和三山

そんなことが想像できるのも、当時は嫌々ながらやっていた教科のおかげなんですけどね。でも、受験に必要なものだけしかやらない、やらせないというのは、実に狭い考えです  ね。何ものがそういう風にしていったのか、許し難いですね。そういう、物か者かわかりませんが、そういうものは一種の妖怪ですよ。そういう見えない捕えどころのない妖怪が夜となく昼なく世にはびこり、それにに毒された、一見無駄のように見えるものを決して許せない、心の狭い人たちが国を動かしていくようになると、とても 危険 ですよ。

おっとっとっと、がらでもないようなことを、、、。腰が痛いので、何かに当たりたくなってしまったのかなぁ。

 
    花の種類も少なくなってきました


 補) まほろば : すぐれたよいところ