The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“忖度”がこの社会の進化を阻むのか―日大アメフト部の騒動に思う
日大アメフト部問題には大いに違和感がある。悪質タックルを実行した日大の選手は単独で記者会見して謝罪し、その行為は指導者の指示によることを明かした。しかし指導者の前監督は、それを全否定したことで騒動は拡大してしまった。どうしても限りなくウソに見える会見だった。
理不尽な指示を受けて、不正とは思いつつ強い忖度が働いて、実行してしまう。しかし、指示を出した側は事実上責任を回避する。この同じ構図がモリカケ問題でも 透けて見えるのだ。国家の高級官僚が法規制遵守よりも忖度を重視して、国家的記録さえ毀損してしまうのだ。しかし政府のトップである首相は地位に恋々とし責任を回避する。
こうした日本人の精神的荒廃が日本社会全体に浸透しており、社会の進歩を妨げているような気がしてならず、大いに危機感を覚える。“忖度”は日本の美徳ではなく、保身の悪徳なのだ。そして昨今の日本の騒動は、全て根深い所でつながっていて毎回同じようなデジャブ映像を見るように思うが、考え過ぎだろうか。 . . . 本文を読む
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山田ズーニー・著“話すチカラをつくる本”を読んで
最近、人間関係を改善する本を探していたのだが、そのためにはいつのまにか“話す力”をつけるのが良いということになり、この本が推奨されてきた。中でもこの本は、アマゾンの書評で45人から平均値で4.3と高得点を得ていたので読んでみることとした。考えてみれば、ISO審査には正に“話す力”が必要な力だ。
先ずは次の7つの要件を挙げている。①相手から自分はどう見られていますか? ②一番言いたいことは何ですか? ③なぜそう言えますか? ④“目指す結果”は何ですか? ⑤どんな問いに基づいて話してますか? ⑥相手から見たら、あなたの言っていることは何? ⑦あなたの根っこにある想いは?
自分で“さまざまな角度から考える技術”を取得して、自分の言葉で語ることが“人を動かす秘訣”なのだろう。この思考の枠組みで“おわび文”や“依頼文”の文構造の事例紹介がある。基本は相手を理解し“通じ合う”こと、“上から目線”を避け、“共感ポイントを見つける”ことが問題解決の早道。これは、就職時の“志望理由書”でも、“ポイントは「つながり」と「相手理解」”だという。“相手理解”が誤解だとすると、一挙に信頼は得られなくなる。相手への十分な調査が必要だ。今を生き抜くコミュニケーションの基礎知識を再確認できた。 . . . 本文を読む
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宮城谷昌光・著“花の歳月”を読んで
実はこのゴールデン・ウィークGW前に宮城谷昌光・著“花の歳月”を読んだ。きっかけはGW前、何だか“お話”が読んでみたいという欲求が湧き起った。この際、宮城谷昌光氏の古代中国の話にしよう、と探してみたが、残念ながら1つの小説で文庫本にして数冊のものが多く、それでは速効性が乏しい。そこで書店で見つけたのがこの短い小説“花の歳月”だった。
読み終わって、期待通りすがすがしい何とも言えないハッピーエンドの爽快感があった。振り返ってみると宮城谷氏の小説は大抵読後にさわやかさが必ずあるのだが、この小説はその点で飛びっきりで、効果抜群だったと言える。老子に従い、こだわりを持たず慎ましく、少しのことで満足する生き方をしていれば、おのずと良いことがあるということを示したもので、清らかな感動作である。 . . . 本文を読む
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外憂内患
気付けば既にゴールデン・ウィークがスタート。休む世間に合わせてブログも休刊するのが合理的判断だが、先週は気付かずに、投稿ネタを求めて右往左往して失敗してしまいマヌケの極みだった。今週は休刊するかわりに、簡単に店仕舞いしたい。日本の現状は正確に言葉を選べば内患外憂ではないか。
外憂と言えば国際的注目の先週末の南北首脳会談はマスコミは盛り上がったが、会談の内容は殆ど無意味、セレモンーだけで終わった。実質は米朝首脳会談の前哨戦としての政治ショウだった。こういう分かり切った解説を得意気にするが、明らかな疑問点や問題点を説明できないいい加減な“専門家”が日本には多すぎる。
一方の内患。相変わらず安倍首相の絡むスキャンダルは消えずに、時を経るに従い逆に新たな事実が明らかになる傾向にある。しかし安倍政権は居直り、今や国会すら軽視し形骸化させ、野党を恫喝する。あまつさえ“地位に恋々”として問題を無駄に長引かせている。これを大した問題ではないとする議論が結構ある。しかし政治の基本ができずして、良い政治は不可能で、“美しい日本”どころか私益優先の“醜い日本”となるのだ。 . . . 本文を読む
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吉村昭・著“陸奥爆沈”を読んで
ブログ投稿ネタが無いので慌てて読もうと手近の書店で入手できたのが、吉村昭の“陸奥爆沈”だった。相変わらずの記録文学。日本ではぞんざいに扱われる記録、特に敗戦を機に多くの公文書が失われたため、肝心の記録が見つからないと言う場面は多い。その上、頼りになる証言者は既に亡くなっているということが殆どだが、吉村氏はいつもそういった障害を乗り越えて作品を完成させている。この作品は、昭和45年新潮社より刊行されたとあるから、戦後25年の作品だ。今やその刊行当時から48年経過しているので、このような作品制作はもはや不可能であろう。
吉村氏の意図するところは、少なくとも“兵器としての機能も発揮せず千名以上の乗組員とともに沈没した”と言う虚しさの視点ではこの“陸奥爆沈”の方が先の“戦艦武蔵”より目的を達しているように思える。しかし、こうした爆沈事件の背景には人間の貧困に根差したものがあり、この作品ではそれを克明にしようとしている。そうした戦前社会の脆弱さが背景にあったものと見ているのだろう。果たして現代日本では、最早このような事件は起こり得ないのであろうか。 . . . 本文を読む
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雑誌・“軍事研究’18年2月号記事・アメリカによる北ミサイル殲滅作戦”を読んで
一時は朝鮮半島有事が世界の衆目を集めたが、中朝首脳会談の開催により、半島での北非核化のための戦火勃発は殆ど可能性がなくなった、と見ている。このような現状で、数カ月前のシチュエーション下での米軍の北への軍事力行使をシミュレーションしても大した参考にはならないだろうが、具体的にどのような事態になるのか一旦想定しておくことは多少の意義はあるだろう。そういう意味で雑誌・“軍事研究’18年2月号記事・アメリカによる北ミサイル殲滅作戦”を読んでみた。
ところが、この件に触れた記事ではアメリカが掃討し損ねたミサイルがいくつか韓国や日本に飛んでくる可能性が高く、それが核弾頭搭載のミサイルばかりとは限らず、生物化学兵器搭載の飛来が考えられる、という程度のものだった。そんなことはわざわざ“専門家”に言われなくても、普通の人には既知のことだ。また、記事には肝心の攻撃態様の全体観が全く記述されていない。何のための投稿なのか意味不明なのが残念だった。 . . . 本文を読む
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スピルバーグ映画“リンカーン”を見て思うこと
このところエンタメ投稿で糊塗している印象だが、今回は物見遊山ではない。半月ほど前から気分的に映画を見たくなり、常とは違い結構見ていて、特にその内のスピルバーグ監督の“リンカーン”の感想を紹介したい。
南北戦争末期、奴隷制廃止を徹底するためには憲法の修正が必要で、そのためには悲惨な戦争の継続とそれに伴う犠牲は仕方ないとするリンカーンの政治的決断は凄い。その矛盾に対する葛藤が映画の冒頭で語られるリーンカーンの悪夢となっていたと思わせる。映画中の彼の台詞に“磁石は正確に北を示している。しかしその北には沼があるとき、君はそこに入っておぼれてしまうのか。”というような意味を言っているのが印象的だ。
また民主主義では様々な意見が自由に語られるべきだ。自由が保障するのは様々な議論百出は衆愚のるつぼだ。そうした混沌のるつぼの中で理想はここだと指し示し、どの程度どこまで何を実行するべきかを示すのが、理想的指導者なのだということが良くわかる。民主的な政治制度を作って、それで安心していてはいけないのだ。そこに理想を適切に指し示す指導者が居なければ、民主主義も次第に腐蝕し、ついに倒壊してしまうのではないか。スピルバーグ自身が映画の冒頭で、日本人に見て欲しいと言っているのは、そういうことなのだろう。またこの映画でスピルバーグはトランプ政権の登場をも予見していたのだろうか。 . . . 本文を読む
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佐藤智恵・著“ハーバード日本史教室”を読んで
この国の情けない実態を世界はどう見ているのか気になるところだが、ブログ投稿ネタに困っていた先週、書店書棚で、偶然にもこの本が目に入った。目次を見て、結構 魅力的な印象を持ってしまい購入し、読了した。
この本は、明治以来の日本人の留学生とハーバードの関わりの紹介から始まって、日本研究者である現役のハーバード大学教授のインタビュー結果の構成である。著者は1970年兵庫県生まれ、92年東京大学教養学部(国際関係論)卒業。
読んでみると、普通の日本人が知らないエピソード満載だ。一般に教えられている通史すら、偏っているのかも知れない、と思わざるをえない。自らの国の歴史を十分に知ったつもりになっているが、実は良く知ってはいないのではないか。外国人がどうしてこのように埋もれた歴史を発掘できたのだろうか。様々なエピソードに気分的に目一杯になってしまう。
誇りを持つことは大切だが、夜郎自大では意味がない。そうならないためには様々な目による評価とその結果の重層的知識を持っていることが必要なのだろう。それにはこの本は期待通りであった。 . . . 本文を読む
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香田洋二・著“北朝鮮がアメリカと戦争する日”を読んで
ピョンチャン五輪は何とか無事終了し、これからはパラリンピック開催となる。この間、韓国の文在寅大政権は、金正恩委員長による招待を受け、同国に特使を派遣する予定であるということだ。一方、米軍は2月下旬にハワイで3日間北攻撃作戦のシミュレーションを行ったという話もある。このことから、韓国の北への特使派遣によって、“北の非核化”への成果が見られなければ、米軍による攻撃もあり得ると見られている。
と言う次第で、香田洋二・著“北朝鮮がアメリカと戦争する日”を読んだ。香田氏は米国の国益に言及し、北の核開発がすでに“レッド・ライン”を越えていて、一年以内の軍事力行使があると言っている。つまり、直接的表現を避けつつ、核軍事力の独占を通じて世界を牛耳るという米国の国益は断固として死守するだろうと指摘している。核拡散の端緒となる北の核保有は断固拒絶するはずだという。
私が懸念するのは、北への攻撃でその脅威の除去によって、米軍が多額の戦費を要求するのではないか、と言うこと。それが不当に高かろうが、日本はそれに気弱に唯々諾々と応じるのだろうか。米軍の先制への北の反撃による被害があったとしても、強硬で高い請求書が突きつけられるのは確実のような気がする。 . . . 本文を読む
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村田晃嗣教授講演“トランプのアメリカと世界”を聴講
この週末の土曜日の午後、神戸国際大学で、同志社大学前学長の村田晃嗣教授の“トランプのアメリカと世界”という演題での講演があり、聴講したので報告したい。
しかし聞き終わって、何か突飛で独創的な発想があった訳ではなかったので、少々失望した。気付けば講演冒頭での問題提起、日本の人口減少にどう対処するべきか、については何ら触れることはなかった。少なくとも、解決の突破口の提示くらいはするべきではなかったか。講演はいささか、演題とは乖離した内容のような印象もあり、逆に演題にそった彼のライフ・ワークと思える部分の成果についての発言は避けたようにも見える。やはり素人の高齢者を相手にした駄法螺話、否それにも劣る内容ではなかったか。
それに村田氏は政治学はやっていても、軍事には疎いように見える。米軍は北を攻撃できない、とは偏った希望的見解のように私には思える。プロの学者ならば政治の延長としての軍事も知っておくべきだ。
また日本の国民の政治レベルについて最後に言及しているが、この問題こそ重要な政治学課題だと考えるが、これにも解決策の手掛かりを明示しなかったのは、日本の法学・政治学者としては怠慢ではないか。それに、少々報道等の細かい情報に無頓着のところがあるようにも見える。 . . . 本文を読む
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