かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

千載、万歳、万々歳! 千代に八千代にその行く末に幸多からんことを!

2005-11-15 22:44:30 | Weblog
 細々、長々と好き勝手しながら続けているこのブログ、広大無辺な電脳海の中では、名も無き無人島の猫の額ほどな砂浜に積もる砂粒の1つ程度の存在感しか無いだろうな、と自分では思っているのですが、それでも同盟サイト「かっこうの本棚」に比べますと、閲覧数では常時上回っており、時折数倍のヒットがあったりして、驚かされることもあります。昨日も閲覧数110、なんていう記録が出ていて、一体どこのどなたが? と目が丸くなってしまいました。浜の真砂の小さな存在も、私個人にとっては結構比重の大きな日々の営みの一つになりつつあるようです。

 さて、紀宮様ご結婚は、あらゆるマスコミが紙面時間の大半をさいて報道に明け暮れているでしょうが、時代が時代なら国民挙げてお祝いし、提灯行列がでる様な騒ぎになっていたであろう事を思えば、まだまだ大人しいものかも知れません。私などはお祝いに「愛国行進曲」を風呂場で気持ちよく歌わせてもらいましたが、そんな私事はともかく、ここはやはりまず一言、おめでとうございますと御言祝ぎ申し上げておきましょう。
 この一事で皇族がまた一柱失われたわけで、たとえ女系天皇が誕生しようとも、このままではいつか皇室その物が存続できなくなるのではないか、と少し心配にはなりましたが、一方で、結婚して民間人になった紀宮様に、出来れば今後も皇族の時同様に各種団体の名誉会長などを勤めてもらえたら、という声が挙がるのには、感心いたしました。もちろんこれまでと違って、一般人としての生活もありますでしょうし、無理強いは出来る訳はないのですが、たとえ民間に降嫁され、社会的には皇籍を抜けられたからといって、それまでの歴史や皇族としての心映えが消えるわけではありません。私は、たとえ民間人になろうとも、国民の皆さんがかのお方は皇族の一員である、という共通認識を持っていれば、皇族として扱っても良いのではないか、と思うのです。女系天皇を云々する先の議論にしてみたところで、男系天皇が時の国民に天皇陛下として認められなくなればそれで終わりなわけで、そんな形式を弄ぶよりも、日本国民の精神的象徴としての存在をいかに尊重し、守り育てていくか、という話の方がずっと大事なのではないでしょうか? その方法が男系の血統を守る事だけ、と言うのは、たとえY染色体の継承があったのだとしても、かなり根拠希薄な気がいたします。例えば、日本人男子全員のY染色体を調査して、天皇家との遺伝的距離を測ってみればどうなるでしょう。過去大勢の天皇陛下がたくさんの子供を成し、その子供達が源氏や平家のように姓をもらったりして臣下になって地方に土着したりしてきたのですから、案外かなりの人数が、天皇家と何らかの関わりを持っていたりするかも知れないじゃないですか。そんなありふれたものよりも、天皇家が天皇家たる所以のものをしっかりと見据え、それを形骸化することなく継承していくことこそ重要な事だと私は思います。そしてそのものこそ、紀宮様の結婚を心から賀し、その将来に幸多かれと祈りつつ、公務からの引退に惜しむ声を挙げる国民の心だと思います。そんな国民皆から慕われるべきは、その遺伝子ではなく、天皇家の精神であるべきだという考えが、今日の結婚式で改めて強く思われました。

コメント
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