かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

万人が免許を持てるというのは、そろそろ考え直した方がいいのではないでしょうか?

2005-11-22 23:04:02 | Weblog
 ううむ、疲れていると文章もやっぱりぐたぐたになってしまいますね。昨日の日記の切り返し連発な読みにくい文章に反省しきりな今日の日記。とはいえ、疲労と眠気はあんまり変わらないので、気合いだけではいかんともしがたいかも。いっぺん、本気で休息することを意識してやるべきだなとつくづく感じる次第。でも、こればかりはなかなかままならないのですよねぇ。

 年末が近づいたせいでもあるまいと思うのですが、なんだかまた世の中が騒がしくなってきているみたいに思えます。昼のニュースでは、泥酔して車を運転し、何人もの人を死傷させた男の公判で、検察が25年を求刑したとか。酒を飲んで車を運転しようと言うだけでも極刑に処すべきではないか、と、普段酒を嗜まない私などは思ったりするのですが、それはともかく、無免許運転や酔っぱらい運転で何度も捕まった男が、4人も死ぬ事故を起こした事を思えば、もはや反省など望みようもなく、25年などと言うのは全く持って生ぬるいと言うしかありません。死刑に出来ないとしても、二度と運転が出来ないようにする方法を検討すべきではないでしょうか? 
 車関係では、島根県出雲市で女性が運転する自動車が通学途上の子供達に突っ込んで大けがさせたりしておりました。事故直前に接触事故を起こしてそのまま走り去ったところで歩道に乗り上げ、子供達の列に突っ込んだんだそうです。出雲には昨年仕事で行きましたけど、神話の町に相応しい、なかなか落ち着いた雰囲気の良い地方都市だな、と感じておりました。そんなところでこの凶事。まことに車は凶器だと思わずにはいられません。
 想像で語るのは好きではありませんが、接触事故で気が動転したまま運転を続け、ハンドル操作を誤ったという所でしょうか? 

 そもそもどうしてこんな連中が免許を持ち、車を運転できるのかが不思議でなりません。年間1万人近い人間が死ぬ交通事故ですが、それには色々な原因があるのでしょう。それが技術的に解決できる問題ならこの先何らかの希望がもてないこともないですが、こんな運転不適格者でも運転が出来るという今のシステムを思うと、それも随分怪しいものです。私の親父様もお年寄りの仲間入りで免許更新時に運転テストを受けたらしいですが、それはそれとして、もっと免許をその名前に相応しい責任あるシステムに変えていく必要があるんではないでしょうか? だれでも教習所に通えば免許が得られると言うのは、車の凶器性を考慮すればあまりに緩すぎる制度だと思います。免許皆伝は、本来もっと重みがあるべきではないでしょうか?

コメント
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