我が地元で小学校1年生の女の子が殺されて一年、今度は広島で同じ小学校一年生の女の子が無惨な姿で発見されました。まだほとんど何も判っていない段階で物を言うのはおこがましい限りですが、ちょうど1年目というのを考えますと、まるでトマス・ハリスの小説に出てくるような「怪物」的異常犯罪者が、一年前の事件の日にあわせて事件を起こしたんじゃなかろうかという気さえいたします。今回の場合、事件の通学路は1キロ以上もあり、しかも山や農地が点在する人通りの少ない田舎町だったとのことで、捜査の方も難航しているようです。広島市というと西日本有数の大都市と思っておりましたが、そこでこれですから他の地方都市は推して知るべし、愉快犯的な物まね犯罪が頻発しないことを祈るばかりです。
とはいえ、警察だけで全てのエリアに歩哨を立ててカヴァーするのは到底不可能ですし、昼間は大人が働きに出て人気が少なくなるのもやむを得ないとなると、地域でどうこう出来るレベルではもうないのかも知れません。こうなったら税金を投じてありとあらゆる所に防犯カメラでも設置した上、子供一人一人にICタグなどを付けてその動向を逐一追跡できるようにするとか、警官の数を大幅増員するぐらいしか私には思いつきません。もっともそうして膨れ上がった警官が質的低下をきたしては何にもならないわけですが。予算がどうとか役所はすぐ言うのでしょうけど、一時的に今進行中の仕事を止めて費用を捻出するなりして何とかならないのでしょうか? それでも足りないのなら増税でも何でもして必要な資金を作ればいいんですよ。少子高齢化が異常なスピードで進行する我が国にとっては、まさしく子供は国の宝のはずです。私は生きていくのにゼロリスクはありえないことを理解してはいますが、こと子供の安全に関してはコストを度外視してもいいんじゃないか、と思います。
ただ、事ここに及んで一抹の不安を覚えるのは、安易に何でもかんでも禁止して安心しようと風潮が生まれたりしないか、と言う点です。先日、奈良県では昨年の事件を契機に生まれた、いわゆるロリコン物の単純所持も検挙対象にする条例に基づき、逮捕された人がいたとのことですが、時期的にも事件1年を記念しての見せしめ的事件だったような感じがいたしました。犯罪抑止に賭ける関係者の方々の努力には賞賛を惜しみませんが、本当にそれで事件を防ぐことが可能なのか、正直なところ大いに疑問がないではありません。例えば、逮捕された方が1年前のあの憎むべき愚か者と同じ犯罪傾向を持つ人物だったのか、それともただ単に趣味が同じだけの人畜無害な人物だったのか、それが判らないと言う点一つとっても、犯罪抑止の効果があるのかどうかが疑わしいのです。そんな対症療法は対症療法として、我々はもっと根本的な所を検討すべきなのではないかと言う気がいたします。先に書いたみたいに地域社会へ安全のためのフェイルセーフ構造を構築する方法を考えるないといけないと思いますし、犯罪者の研究を大々的に進めて、事件を起こす可能性を未然に防ぐ方法はないのかを検討すべきだと思うのです。私はこういう子供を対象にしてしまう犯罪者達と、例えば秋葉原を徘徊し、夏冬有明に集まるような人達(要するに自分も含めて、と言うことになるのですが)との間には、厳然たる違いが遺伝子レベルでもあり得るのではないか、と思っているのですが、そんな研究が進展すれば、そう言う犯罪危険性のある人物を特定して教育プログラムなりで矯正できる可能性も出てきますし、そもそも矯正方法自体より効果的な物を編み出せるようにもなるでしょう。そんな違いが無いなら無いで、また検討することも出てくるはずで、ようはそんな基礎研究もないまま、効果があるかどうかも判らないことを漫然と行うことに非常な違和感を覚えるのです。まずは必ずやり玉に上がるゲームや漫画などのメディア産業が、率先してそういう研究資金を提供するための財団をこさえるようなことが出来ないのか、と思います。
とはいえ、警察だけで全てのエリアに歩哨を立ててカヴァーするのは到底不可能ですし、昼間は大人が働きに出て人気が少なくなるのもやむを得ないとなると、地域でどうこう出来るレベルではもうないのかも知れません。こうなったら税金を投じてありとあらゆる所に防犯カメラでも設置した上、子供一人一人にICタグなどを付けてその動向を逐一追跡できるようにするとか、警官の数を大幅増員するぐらいしか私には思いつきません。もっともそうして膨れ上がった警官が質的低下をきたしては何にもならないわけですが。予算がどうとか役所はすぐ言うのでしょうけど、一時的に今進行中の仕事を止めて費用を捻出するなりして何とかならないのでしょうか? それでも足りないのなら増税でも何でもして必要な資金を作ればいいんですよ。少子高齢化が異常なスピードで進行する我が国にとっては、まさしく子供は国の宝のはずです。私は生きていくのにゼロリスクはありえないことを理解してはいますが、こと子供の安全に関してはコストを度外視してもいいんじゃないか、と思います。
ただ、事ここに及んで一抹の不安を覚えるのは、安易に何でもかんでも禁止して安心しようと風潮が生まれたりしないか、と言う点です。先日、奈良県では昨年の事件を契機に生まれた、いわゆるロリコン物の単純所持も検挙対象にする条例に基づき、逮捕された人がいたとのことですが、時期的にも事件1年を記念しての見せしめ的事件だったような感じがいたしました。犯罪抑止に賭ける関係者の方々の努力には賞賛を惜しみませんが、本当にそれで事件を防ぐことが可能なのか、正直なところ大いに疑問がないではありません。例えば、逮捕された方が1年前のあの憎むべき愚か者と同じ犯罪傾向を持つ人物だったのか、それともただ単に趣味が同じだけの人畜無害な人物だったのか、それが判らないと言う点一つとっても、犯罪抑止の効果があるのかどうかが疑わしいのです。そんな対症療法は対症療法として、我々はもっと根本的な所を検討すべきなのではないかと言う気がいたします。先に書いたみたいに地域社会へ安全のためのフェイルセーフ構造を構築する方法を考えるないといけないと思いますし、犯罪者の研究を大々的に進めて、事件を起こす可能性を未然に防ぐ方法はないのかを検討すべきだと思うのです。私はこういう子供を対象にしてしまう犯罪者達と、例えば秋葉原を徘徊し、夏冬有明に集まるような人達(要するに自分も含めて、と言うことになるのですが)との間には、厳然たる違いが遺伝子レベルでもあり得るのではないか、と思っているのですが、そんな研究が進展すれば、そう言う犯罪危険性のある人物を特定して教育プログラムなりで矯正できる可能性も出てきますし、そもそも矯正方法自体より効果的な物を編み出せるようにもなるでしょう。そんな違いが無いなら無いで、また検討することも出てくるはずで、ようはそんな基礎研究もないまま、効果があるかどうかも判らないことを漫然と行うことに非常な違和感を覚えるのです。まずは必ずやり玉に上がるゲームや漫画などのメディア産業が、率先してそういう研究資金を提供するための財団をこさえるようなことが出来ないのか、と思います。