かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

誤りを認めて謝ることも大事ですが、真犯人逮捕よりも大事なことが軽視されてる気がします。

2012-10-21 21:10:26 | Weblog
 東の山の中から帰還しました。帰る前に近所の山を一つ制覇してから、と思って登ったまでは良かったのですが、帰路の下りですっかり膝が笑ってしまいました。山道は登りより下りのほうが凶悪です。明日はきっと両足とも身が入って大変でしょうが、山頂から見下ろした大海原ならぬススキの大高原の光景は実に素晴らしかったので、後悔はしておりません。

 さて、帰宅してからまずはメールのチェックとネットでニュースを見て、遠隔操作ウイルス事件という公式名称(?)な誤認逮捕事件について警察が間違って逮捕されてしまった方々に謝罪した、という話を読みました。まずは事件の名称を遠隔操作ウイルス誤認逮捕事件にすべきなんじゃ? と思ったのですが、一体どのような謝罪の仕方をしたのか、気になるといえば気になります。単に逮捕したことだけじゃなくて、偽りの罪を認めさせてしまったことについてはちゃんと謝罪したのでしょうか? 被害者「真犯人を捕まえてくれ」警察「全力で捜査します」なんて、被害者が警察には遺恨はなくて真犯人にのみ憤っているような書き方になっているのが実に気になります。たままたこの被害者の方が相当に寛容な性格だったのならともかく、どうも腑に落ちません。自分が当事者なら、と想像してみるに、そんな状況に落とし込んだ真犯人への憤懣はもちろんあるにしても、直接的に、やってもいないことをネチネチと時に恫喝を交えてやったやったと言われ続け、少しでも楽になるために無実の罪を認めさせられて、その挙句の果てに「間違いでした」と平謝りされて、激怒せずに済ませられるはずはない、と思うのです。
 乱暴な言い方であることを承知のうえで敢えて書けば、ヒト死にが出るわけでもないネット上のイタズラ書き程度のこと、真犯人が捕まろうが逃げ切ろうがある意味どうでもよいことです。それよりも、その程度のことで無実のヒトを長期間拘束して挙句の果てにやってもいない罪に陥れて被害者を増やしてしまったことの方が余程罪深い重大事で、多大な反省を要することではないかと思います。警察としてはこんなことをキッカケに取り調べの可視化などに話が進んでしまうことなど死んでも認めたくないのでしょうが、それならそれでやらねばならないことが色々とあるはずで、真犯人の逮捕を強調するよりもそれについて真摯に言葉を重ねたほうが余程信頼回復に繋がるでしょう。なぜそうしないのか、はたまたしてないように見えてしまうのか、私には実に不思議です。

コメント
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