かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

あの中村教授をして60にして耳順う心境に至ったか、と感慨深く感じました。

2014-11-04 21:01:58 | Weblog
 朝は手袋にマフラーが必要なレベルの寒さになってきましたね。昼間は十分に暖かいのですが、夜になると、朝ほどではないですがまた寒くなってきます。いずれ昼間も寒くなる日が来るのはわかっていますが、できるだけそんな日が遅れてくるように、今は祈るばかりです。

 さて、ノーベル物理学賞と文化勲章を受章した中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授が、テレビ会見でかつての勤務先の日亜化学工業に関係改善を呼び掛けられましたが、同社は「貴重な時間を弊社へのあいさつなどに費やすことなく研究に打ち込み、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようにお祈りする」と慇懃無礼にその申し出を断ったとのことです。少々大人げない言いようのような気もしますが、それだけ両者の溝は深いということなのでしょう。
 基本私は、中村氏がどれほど人間的に問題のある人物であったとしても、またそれが全く個人的で利己的な戦いだったとしても、日頃報われることの少ない研究者に陽が当たるように奮闘努力されたことについては研究者の端くれとして大いに感謝するところであり、その成果がノーベル賞という形に結晶したことについては手放しで寿ぐものです。身近に居なければそういうブラックな部分は見えませんし、ある意味見る必要もなく、研究者の価値は人格や態度ではなく、ただその研究成果のみによって判断されるべきであろうと考えます。もっとも身近にこんな人がいたらやっぱり敬遠はしたでしょうが、そのへんは基本無責任な言動であることは自覚しております。
 それはそれとして、60にして耳したがう、とは申しますが、今更ながらにこのようなことを言い出すとは、中村教授もそれなりに年をとったということなのでしょうか。文化勲章も貰って、人生の終盤が見えてしまったのかもしれません。できれば最後の最後まで暴れん坊の利かん気の風雲児で何かと物議を醸すヒトであって欲しかったと思わないでもないですが、功成り名を遂げ丸くなられたのだとしたらそれはそれで良いようにも思います。
 それにしても、翻って自分はどうなるだろう、と考えてしまいますね。中村教授の年にはまだまだ一昔分くらいは猶予がある身ではありますが、はるか遠くの想像もつかない状態よりは、明らかになんとなく見えてくるところには差し掛かってきてはいます。たまには少し時間をとって、そんな近い将来にどうしたものか、色々考えてみる必要があるかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする