今日は午前中は山の中、午後は仕事部屋にこもりきりでネットとかTVとかと無縁で居たため、俳優の高倉健が逝去された、という話を全く知らないまま、一日を過ごしておりました。お陰で、帰宅してネットに繋いでニュースサイトを観た時にはとにかく驚きました。もう83歳になっていたのですね。そう考えればまずは大往生と言っても良いかと思いますが、また昭和を代表する火がひとつ、消えてしまったことを、じわじわ実感しつつあるところです。
半世紀以上にわたって、生涯で205本の映画に出演したとのことですが、私自身は、そのうちの一本、「八甲田山」しか記憶がありません。「幸福の黄色いハンカチ」は観たかもしれませんが覚えてませんし、他にも幾つか、あの朴訥とした話し方をしているシーンを観た記憶が無いこともないのですが、どうもそれがなんの映画だったか思い出すことができず、本当に映画で観たのか、単に予告編などのCMで観たのか怪しかったりして、しっかり、間違いなく観た、といえるのが「八甲田山」だけだったのです。
そんなわけで、一体どんな映画に出ていたのだろう、と改めて検索してみたのですが、聞いたことのあるものや全く知らないものなどまあ205本も並べるとさすがに壮観です。でも何より驚いたのが、昭和30年代頃の年間の撮影本数の数! 12本とか13本とかの映画に、主演も含め出演されています。映画の全盛期だった、というような事情もあったのでしょうが、よくもまあ毎月のように違う作品に出て、それを完成させているというちょっと信じがたいような出演本数でした。
昭和期を代表した最後の映画スターの幕引き、感慨深くその冥福をお祈り致しましょう。
半世紀以上にわたって、生涯で205本の映画に出演したとのことですが、私自身は、そのうちの一本、「八甲田山」しか記憶がありません。「幸福の黄色いハンカチ」は観たかもしれませんが覚えてませんし、他にも幾つか、あの朴訥とした話し方をしているシーンを観た記憶が無いこともないのですが、どうもそれがなんの映画だったか思い出すことができず、本当に映画で観たのか、単に予告編などのCMで観たのか怪しかったりして、しっかり、間違いなく観た、といえるのが「八甲田山」だけだったのです。
そんなわけで、一体どんな映画に出ていたのだろう、と改めて検索してみたのですが、聞いたことのあるものや全く知らないものなどまあ205本も並べるとさすがに壮観です。でも何より驚いたのが、昭和30年代頃の年間の撮影本数の数! 12本とか13本とかの映画に、主演も含め出演されています。映画の全盛期だった、というような事情もあったのでしょうが、よくもまあ毎月のように違う作品に出て、それを完成させているというちょっと信じがたいような出演本数でした。
昭和期を代表した最後の映画スターの幕引き、感慨深くその冥福をお祈り致しましょう。
