今日は朝からしっかり晴れて、久しぶりに夏らしい日差しが戻ってきました。一方台風12号は、ようやく西から北へと転進を図りつつあり、本土の方へ近づいてくる模様です。奈良県が影響圏内に入るのは週が明けてからでしょうし、多分相当弱っているのと離れているのとでほとんど影響らしい影響は出なさそうですが、雨くらいは降ってくるかもしれません。
さて、東京五輪会場の建設で物議をかもしだすミスを犯した文部科学省が、先月国立大学から人文社会科学系の学部の廃止や転換を求める通知を出し、それに対して日本学術会議が、「人文・社会科学の軽視は大学教育全体を底の浅いものにしかねない」などの意見を表明、文科省の通知を批判しました。個人的には、人文社会に「科学」と付けることに違和感が拭えず、正直、学問としての存在価値はどうなのだろうか? などと疑問を感じてしまうこともある領域ではありますが、自分がそう感じるからといって、それらの分野で行われている「研究」の必要性や重要性、それに携わる研究者の方々の能力や資質などについて疑問を呈しようとは思いません。自分の知らない世界について生半可な知識で批判するなどそれこそ科学・学問とは言えない行為でしょう。もっとも、経済学や法学についてはもう少し強めの疑問と不信感を抱いているので、生半可な知識でこき下ろしてしまうことも無きにしもあらずですが、とりあえずそんな自分があまり良くないことをしているな、という程度の自覚はしています。
それはともかく、ゆとり教育とかでもそうですが、どうも文部科学省という役所に居るお役人の人達は、「教養」というものを軽視しているような気が致します。よほど自分が詰め込まれた知識に疎ましさを覚えているのでしょうか? 文科省の言い分は、「18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか」という国立大学法人評価委員会というところが昨夏に出した文書の中に書き込まれているのでしょうが、「社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべき」って、その「社会的要請」が変化するたび、コロコロ大学側も変えよう、というような軽いものなのでしょうか? まあ就職予備校と化して卒論研究より就職活動のほうが重要視されているような今の大学教育のあり方を見ていると、そもそも理系も文系もどっちもどうにかせい! と言いたくなるのですが、それにしたって人文社会学を軽視して良い理由にはならんでしょう。日本学術会議は英語での声明文も発表し、世界に向けてこの「蛮行」を訴えておられる由ですが、「やっぱり黄色い猿には「学問」なんて理解するのは無理だったんだ」と嘲笑されるような真似だけは止めてもらいたいものです。
さて、東京五輪会場の建設で物議をかもしだすミスを犯した文部科学省が、先月国立大学から人文社会科学系の学部の廃止や転換を求める通知を出し、それに対して日本学術会議が、「人文・社会科学の軽視は大学教育全体を底の浅いものにしかねない」などの意見を表明、文科省の通知を批判しました。個人的には、人文社会に「科学」と付けることに違和感が拭えず、正直、学問としての存在価値はどうなのだろうか? などと疑問を感じてしまうこともある領域ではありますが、自分がそう感じるからといって、それらの分野で行われている「研究」の必要性や重要性、それに携わる研究者の方々の能力や資質などについて疑問を呈しようとは思いません。自分の知らない世界について生半可な知識で批判するなどそれこそ科学・学問とは言えない行為でしょう。もっとも、経済学や法学についてはもう少し強めの疑問と不信感を抱いているので、生半可な知識でこき下ろしてしまうことも無きにしもあらずですが、とりあえずそんな自分があまり良くないことをしているな、という程度の自覚はしています。
それはともかく、ゆとり教育とかでもそうですが、どうも文部科学省という役所に居るお役人の人達は、「教養」というものを軽視しているような気が致します。よほど自分が詰め込まれた知識に疎ましさを覚えているのでしょうか? 文科省の言い分は、「18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか」という国立大学法人評価委員会というところが昨夏に出した文書の中に書き込まれているのでしょうが、「社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべき」って、その「社会的要請」が変化するたび、コロコロ大学側も変えよう、というような軽いものなのでしょうか? まあ就職予備校と化して卒論研究より就職活動のほうが重要視されているような今の大学教育のあり方を見ていると、そもそも理系も文系もどっちもどうにかせい! と言いたくなるのですが、それにしたって人文社会学を軽視して良い理由にはならんでしょう。日本学術会議は英語での声明文も発表し、世界に向けてこの「蛮行」を訴えておられる由ですが、「やっぱり黄色い猿には「学問」なんて理解するのは無理だったんだ」と嘲笑されるような真似だけは止めてもらいたいものです。