かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

火星探査車オポチュニティ、15年の任務を終え、ついに異郷の地にて往生を遂げたそうです。

2019-02-14 20:39:32 | Weblog
 今朝の奈良市の最低気温は1.6℃、最高気温は6.4℃、五條市の最低気温はー0.6℃、最高気温は5.2℃でした。今日は1日ほぼ曇り空で、やや明るい白い雲からグレーの重たそうな黒い雲まで色々と時間によって変わりつつ、空を覆い続けました。そのせいかやたらと寒々しく、昼間は特に空気の冷たさが身体に障りました。暖房が恋しい1日でした。明日は日が出るらしいのでもう少しマシな空模様になると思いますが、暖冬続きの今冬の中では比較的冷えた一日になるかもしれません。

 さて、今から15年前、2004年1月に火星に到達し、その後15年にわたって火星表面を動き回り、観測を続けていた火星探査車「オポチュニティ」がついに力尽き、その運用が停止されることになりました。NASAの発表によると、昨年稼いで発生した大規模な砂嵐の後、6月10日を最後に音信不通となり、その後8ヶ月に渡って遠隔で復旧を試みましたが、2月12日に送った信号にも反応がなく、復帰を断念した、とのことです。
 オポチュニティはこれまでに21万7千枚以上の画像を地球に送り、更に火星で初の隕石を発見、地形や岩石を観測してかつて確かに水があったことを明らかにするなど、火星の謎を解き明かすのに貢献してきました。当初の摂家寿命はわずか90日、移動可能距離も1Kmと推測されていましたが、踏査していた充電池が5千回以上の充放電後も85%の性能を保持し特に優れた性能を発揮したことや、火星の強い風で上向きに広げていた太陽電池パネルが常に掃除され、砂ほこりが積もりにくかったことなどで、想像以上に長寿命を誇ることになったそうです。
 そんな奇跡的な強靭さを発揮した先端科学の結晶なればこそ、火星という過酷な環境で15年もの寿命を保ち得たのでしょう。
 いつの日か人類が火星に進出した際には、ぜひ探し出して回収し、里帰りさせるなり火星に博物館でも建てて展示するなりして欲しいものです。多分砂嵐などで埋まってしまうかもしれませんが、その時は宇宙の人類史における貴重な遺物として、是非とも発掘してもらいたいですね。

コメント
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