議決に関していろいろ考えることがあります。
議会としての議決に関する説明責任と、一議員としての議決についての説明責任があると思うからです。
議会としての説明責任は、質疑や討論、委員会審議など議決に至る過程を透明に、全てを公開することで、かなりの部分が満たされるのではないかと思います。
しかし、一人の議員として議決に臨む際、その判断に至る過程がどこにも現れていなければ、はたして、どこで説明責任を満たすのかと思います。
今のところ、鈴鹿市議会では各議案や請願に対しての、個々の議員の議決情報がでていませんが、やはり、議決情報について開示をするべき時に来ていると思います。
他市町の議会だよりなどでは、各議員の議決についてが掲載されているものもありますから、できないことではないと思います。
それでは議決につながる質疑や討論について、なんでもいいから行えばいいかと考えているかというとそうでもありません。やはり、他の議員からの質疑や、委員会審議などの過程と結果、そして他の議員討論なども踏まえた上で、討論で自分の考えることを述べるべきだと考えています。
非常に判断に難しいこともありますが、議決についてこのようなスタンスで考えることを自分に課しています。
議会としての議決に関する説明責任と、一議員としての議決についての説明責任があると思うからです。
議会としての説明責任は、質疑や討論、委員会審議など議決に至る過程を透明に、全てを公開することで、かなりの部分が満たされるのではないかと思います。
しかし、一人の議員として議決に臨む際、その判断に至る過程がどこにも現れていなければ、はたして、どこで説明責任を満たすのかと思います。
今のところ、鈴鹿市議会では各議案や請願に対しての、個々の議員の議決情報がでていませんが、やはり、議決情報について開示をするべき時に来ていると思います。
他市町の議会だよりなどでは、各議員の議決についてが掲載されているものもありますから、できないことではないと思います。
それでは議決につながる質疑や討論について、なんでもいいから行えばいいかと考えているかというとそうでもありません。やはり、他の議員からの質疑や、委員会審議などの過程と結果、そして他の議員討論なども踏まえた上で、討論で自分の考えることを述べるべきだと考えています。
非常に判断に難しいこともありますが、議決についてこのようなスタンスで考えることを自分に課しています。