今日は朝、別府から竹田(城で有名な)を通り、阿蘇市から大津町を抜け熊本市内に、その後、益城町のあたりをバイクで様子を見て回っていました。
阿蘇では阿蘇神社の様子を見ましたが、土地の方と話をしたところ、阿蘇神社の近辺などで倒壊した家屋があるとのことと、阿蘇さんの山頂の一部が崩落していたり、登山道などもダメージを受けていると聞きました。一方で、近辺には多くの家屋も残っており、建物の耐震性と同時に木材の状況なども重要かと思いました。また、ブロック塀等もちらほら倒壊していました。
阿蘇から熊本に抜けるには国道57号線を通るのですが、ご存じのように、阿蘇大橋付近の崩落で不通となり、迂回して大津町近辺に抜けるルートを通りました。このルートも斜面にある道路で、もし大きな地震があったらと考える状況でした。そこから大津町を通るルート沿線の風景では、やはり古い建物が倒壊していましたが、耐震性のあるものは残っていたと思います。しかし、遠景にブルーシートがかかった家屋が多く見えました。
その後、熊本市内に移動し、熊本城に行きました。近くの施設(桜の馬場 城彩苑)と熊本市役所14階の展望スペースから熊本城の様子を見ました。
施設では売店の売り子さん(京都出身とのこと)と話をしたのですが、まだ避難所にいる方々は、夜が不安で避難されている方もいらっしゃるとのこと、一方で、がんばっていこうということで働いているということで、市内そのものはパッと見たところでは、日常の雰囲気を感じました。そのそばに、倒壊した熊本城という非日常があるという感じです。
そして益城町へと向かったのですが、熊本市内から向かっていくと、片付けたごみが出されているところが増えてきたなと思っていると、徐々に壊れた家屋が目につき、渋滞もしてきたところで益城町に入るという感じでした。幹線道路沿いだけですが、道路の状況から地面の動きの激しさを想像させられ、それに伴う倒壊の状況のすさまじさをひしひしと感じました。ただ、渋滞している道の両側には、倒壊危険の高い建築物が多く、もしもの際のリスクに課題を感じました。倒壊した際、2次被害と道路遮断の可能性が高いと思います。
ホテルがうまくとれたので、いろいろ洗濯後、繁華街へ。古い建物にダメージが出たりしているものの、元気なお店もたくさん。ただ、地元の人の利用が少ないようで、地域外からの力はこのような部分でも必要だと感じました。ただ、もしもの際、頭の上から何かが落ちてくるかもしれないなと話していたおじさんもいました。
繁華街のある地域では、十分に対応すべきことかもしれません。
鈴鹿にフィードバックするべきことと考えるのは、
1.過去に明らかになっている断層や、GPSなどで変動が大きいと考えられる地域を調査すること。
2.上記の地域で、耐震性および木材の検査をすること。
3.上記の地域について、必要であれば大きな被害が出る前に、移転などの検討をしていただくこと。
4.被害が出た際に、緊急車両やがれき撤去車両が行動しやすいように考えること。
5.繁華街の被害を小さくなるように考えること。
6.繁華街建築物の耐震化チェックと耐震化の推進、
7.被害後のごみについて、大きな木質系家具と家電、その他を分別してもらうこと意識すること。
8.耐震化のチェック対象に神社仏閣(木造)も含めること。
などが現時点で思い付くことです。
ちなみに、現場の写真については、公的な位置付けのものを除いてはほとんど記録していません。個人の方のお宅について、やはり見ていて心が痛いこともその理由です。
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