私たちは“ 進歩 ”という言葉を使いながら、実のところ、現状肯定や現状を追認していることが多いのではと考えたりします。また“ 前に進むこと ”に価値を置きすぎていないかと考えたりもします。
たしかに“ 変化 ”や“ 適応 ”ということは大切ですが、それは前に進むことばかりではないはずです。柔軟にそれに向かいあうこと、場合によっては進む方向を変えることが、これまで以上に求められていると思います。
私たちが暮らしている環境は、自然的であれ社会的にであれ、どこかに限界があるのではないでしょうか。そのことを考えると、前に進むことばかりではいずれ限界に達すると考えることが適当と考えます。
時間は、過去から未来に向かって一方向に流れているように見えて、私たちはその感覚で、実のところ、目の前のことに対処することで前に進もうとしているように思えます。そのために現状を追認し続けてきていると思うのですが、そろそろ積み重ねた前提そのものを考え直す時期に入っているのではないでしょうか。
ひとつの例として“ 公共交通 ”を考えると、移動困難を解消するために移動手段を議論することが多いのですが、困難と言われる状況が形成されてきた背景を考えなければ、根本的な解決に至らないと考えます。
鈴鹿市で考えると、40年前に困難と言われる状況だったでしょうか。
1985年の人口は約16万5千人(国勢調査)で、2023年は約19万5千人(現在値)、2045年には約15万6千人(R2版鈴鹿市人口ビジョン・国勢調査)となっています。この間に、若年人口と生産年齢人口が減少、高齢人口が増加するという変化が起こっています。
では“ 買い物 ”についてみると、どのような変化があったのでしょうか。80年代は住宅地も団地が形成されていたとはいえ、ひとつの集落的な形であって、身近に小さな商店や中小規模のスーパーがまだあったように思います。
そこから車社会の“ 成長 ”にあわせて“ 前に進むこと ”で、マイカーによる移動が普通になった結果、小さな商店はもちろん中小規模のスーパーも、大規模資本のショッピングセンターなどに集約されていったのではないでしょうか。また、ネットショッピングなどの影響もあるでしょう。
移動困難に対してライドシェアが取り上げられていますが、これにしても、それを利用するためのアプリなどが外資によるものであったら、諸手を挙げて良いものか熟考が必要でしょう。
そう考えると、買い物に対する移動困難について、今まで進んできた方向で前に進もうとしても、いずれ限界が来ると考えたほうがよく、個人的には、今まで住んできた地域を見直す方向にかじを切るほうが、持続可能性としては高いと考えます。移動手段ではなく、私たちの生活そのものに視点を移して考えるべきではないでしょうか。
次の図は、R2版鈴鹿市人口ビジョンから引用したものです。
1985年は、大戦の影響が高齢者人口にあったことが考えられますし、第一次ベビーブーム(1947~1949)が大きかったことも間違いありません。第一次の世代によるベビーブームが第二次(1971~1974)ですが、この世代が「就職氷河期」にあたったことが2015年に影響、そして2045年に続いているということでしょう。
そう考えると、いま現れている社会状況は、他でもない私たちの選択の結果となります。それなのに、これまでの歩みと同様に“前に進む”ために、そのとき考えられる新しい手法での解決ばかりに目を向けていると、一時は解決できたように見えても、違う形で課題が出てくるのではないでしょうか。
過去を過度に礼賛するつもりはありません。しかし、人口減少の中にある日本では過去を見直し、そこにあった社会の形を目指すことも、重要な選択肢になるのではと考えています。
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