日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本。国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

男女平等ではなく、男女機会均等を目指すべき

2022-05-12 10:14:06 | その他
男女は平等でなけれはばならないということがよく聞かれる。しかし、本当にそれは正しい目的なのだろうか。

もし性別の際に関係なく完全に男女平等だとすれば、力を必要とする分野では常に女子の平均は男子の平均に劣ることになる。

オリンピック等のスポーツ競技で男女の別をなくせば、多くの競技で女子がオリンピックに出場することはなくなるだろう。

性差によりある分野では男が、別の分野では女が優れているのは否定できない。これを全て平等だといって性差を無視して競争すればそれこそ不平等になる。

男女平等論者の一部に生来の性差による違いを無視するかのような意見が見られるのは大きな間違いである。

男女は平等ではなく、機会を均等にすべきである。希望するすべての分野に男女平等にエントリーできる体制を整備し、その上で性差に基づく、あるいは基づかない能力差によって選別できるようにすべきである。

男女別の人数枠を設けるようなことは悪平等の典型であり社会や組織にとって有害以外のなにものでもない。
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命より大切なものはある。しかしそれを決められるのは自分だけであり、かつ熟慮すべきである。

2022-03-07 10:08:47 | その他
今回のロシアのウクライナ侵略で、日本では「早く降伏すれば被害が少なくですむのに、何故勝ち目のない戦いをして命を落とすのか」という意見が聞かれる。

何よりも命が一番大切という考え方にたてばそのような意見がでてきても不思議ではない。しかし、自由を求め命を落とすか、奴隷としてでも生きることを選ぶか、それを決定するのはウクライナ人であり、日本人がとやかく言う資格はない。

そもそも、人間にとって命がなによりも大切というのは絶対に正しいというものではない。人間は必ず例外なく死ぬのだから、命が何よりも大切ということであれば、人間はその一番大切なものを失う為に生まれてくることになり、その人生は死という絶望への旅路となる。

うまれた人間は必ず死ぬのだから、その人生の価値あるものはその間にこそあるべきである。

何が自分にとって命をかけるほど価値のあるものか、それを決める資格のあるのは自分だけであり、国家であれ親であれ、他人によって決められるべきではない。

また、絶望して命を断とうとするのはよく熟慮し人生を十分味わってからにすべきである。少なくとも50を超えない者が人生に絶望するのは早すぎる。
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オミクロン株では濃厚接触者は行動制限不要でいいのでは

2022-01-14 09:56:13 | その他
オミクロン株による第六波は予想以上に急拡大しており医療崩壊が心配される事態になっている。

しかし、オミクロン株はデルタ株等と比較して症状が軽いことは間違いなさそうである。オミクロン株が急速に広がっている沖縄県で、県内のオミクロン株感染者675人を調査した結果、92.3%が無症状または軽症だったと明らかにした。中等症は7.7%で、人工呼吸器などを装着した重症者はいなかった。

感染力は強いが肺炎等の重症になる立は低いというのがオミクロン株である。現状のままでは患者数の増加につれ濃厚接触者が加速度的に増加し、彼らの行動制限を今のまま続けていると社会が回らなくなってしまう。

これを受け政府も14日の待期期間を短縮する方向で検討している。しかし、現在既に多くの無症状のコロナ患者が市中に存在する状況で、PCR陰性の濃厚接触者の行動を制限する意味はほとんどない。

オミクロン株の症状は風邪に近づきつつあり、既に市中にウイルスが蔓延していることからも通常の病気と同様の対応で十分ではないだろうか。
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人間が増える限り気候対策など無意味、それよりどんな気候になっても生存できる技術の開発に注力すべき

2021-11-26 10:02:37 | その他
ヨーロッパの非現実主義者が気候変動対策を声高に叫んでいる。しかし、核融合が完成しない限り太陽光や風力等の自然発電で火力発電等を置き換えるのは不可能である。

出口の無い原子力発電などに頼れば、どちらが地球環境に悪いかわからない。

日本のような人口減少国の中でいれば実感はないかもしれないが、世界の人口は増え続け、しかも豊になり一人当たりが使用する資源やエネルギー量は増え続けている。

ガソリン車をEV車に置き換える動きが増えているが、これなどは何の足しにもならない。そもそも全ての自動車がEV車に置き換わるには充電時間の大幅短縮化というハードルがある上に、増加した電気需要を自然エネルギーだけで賄うのは不可能である。

また、人口が増加し一人当たりの使用エネルギーが増加しつづければ、様々な商品需要が拡大し、それを生産する為に各種の資源が必要となる。これらは全て何らかの形で地球環境に影響を与える。

この流れを止めるには、アジアやアフリカ、中南米の各国の人口増を抑え、欧米並みの生活水準になることを妨げるしかない。

しかし、結局のところ人口は増加し、貧しい国は豊かになることを目指し、地球環境の悪化は避けられない。

温暖化ガスの削減に技術資源をさくことも必要だが、それ以上に地球環境がどんなに悪化しても人類が生存できる技術の開発に尽力すべきである。

100年後には地球環境の大幅悪化を避けるために月や火星に移住することも必要となるだろう。

アフリカのエデンの園を出た人類が地球全域に生存範囲を広げたように、宇宙に広がる準備をすべきである。
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患者が生きることを希望せず、家族がそれを容認するなら安楽死を認めるべき

2021-05-13 09:56:21 | その他
医師二人が嘱託殺人容疑で逮捕されている。現在日本では安楽死は認められていないが、これにより多くの患者と家族が不当な苦痛を受け続け不幸になっていることは否定できない。

現在の法体系は命は何よりも重要であり、その命は自然に任せるべきであり人為的にそれを縮めることは容認されていない。

しかし、人間にとってどんな状態であれ生きながらえることが価値のあることだろうか。人間はどんなに健康に気をつけていても必ず死ぬ。死ぬ運命を逃れられる者は一人もいない。

死が避けられないものとすれば、外から見れば人生の差は生きている期間の長短にすぎない。とすれば人生の価値は単に長生きすることではなく、如何に充実して生きるかということにある。

多くの人間にとって充実した人生とは、自らの思うように行動し楽しむことである。これができず動くこともできず、将来治る可能性もなく苦痛に襲われ続けるとしたら、そんな人生に意味を見出せる者はごく少数であり、大部分の凡人患者とその家族にとってそれは耐えられない不幸である。

この不幸に直面し、これ以上の苦痛に耐えられず死にたい患者と、患者の苦痛を日々目の当たりにし苦慮する家族に対し、それでも寿命がくるまで苦しみながら生き続けよと言うことは拷問以外の何物でもない。

そのような不幸な患者と家族を解放する為にも安楽死を認めることが望まれる。

人間にとって運命が命を奪うまでは、生き続けるということには何の価値もない。人生の価値は如何に充実した生き方をするかにこそ存在する。
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