正式名は「敦賀市立博物館」。
土花吉にとってみれば「福井銀行 港支店」と言ったところの「旧 大和田銀行」
昭和2年竣工の「大和田銀行」は昭和20年に三和銀行に吸収合併される。
その後、昭和37年の三和銀行の撤退に伴い「福井銀行」となる。
土花吉が幼少の頃、比較的この場所から近い所に住んでいたため、銀行に用事がある母に連れられた折
下の写真の玄関前の欄干の石柱に登り、腰を掛けて暇をつぶしていた覚えがある。
土花吉が成人になる頃には既に銀行ではなく、地元の「歴史民俗資料館」に。
平成に入り、文化財となり「市立博物館」に改称された後、社会奉仕活動の一環として、地元「近代建築研究グループ」の
一員だった頃には毎月のようにこの場を訪れ、大学の先生や高専の先生と調査や研究を重ねていた。
今でも、その成果は博物館発行の学術雑誌「紀要」として残されている。
そんな何かと思い出がある地元近代建築のこの建物も、平成27年の修復工事完了後は一度も訪れていなかった・・・。
何故なら、丁度すぐ傍で「博物館通り」の町屋改修プロジェクトに関わっていた頃と同時期の修復工事だったため
その手法に疑問を抱きながら傍観していた経緯があるためでもある。
そんな「傍観者」も修復から3年の月日が経ち、内部を見学する機会に恵まれる。(学芸員の耳障りな解説の元)
正直、不満もあります。その手法、その材、その納まり。
ただ、一つだけ言いたいのは、当時の青焼きの設計図の一部をコピーしたものを、修復時の資料として
展示する折に何故、設計者を前面に出さないのか。
近代建築研究グループ時、幾度となく「永瀬狂三」の当時の図面を拝見させて頂いた「傍観者」は不思議に思ふ・・・。