ルイガノ旅日記

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アメリカ西部 グランドサークルをめぐる旅④ 〜 モニュメントバレー

2018年11月10日 | 海外旅行
アメリカ西部の旅も3日目。ザイオン、ブライスキャニオン、アンテロープキャニオンと回ってきたグランドサークルツアーも、残すはモニュメントバレーとグランドキャニオンのみとなりました。名残り惜しいですが、いよいよ旅も後半です。
モニュメントバレーはアンテロープキャニオンと同じくNavajo Nation(ナバホ族居留地)内にあり、正式名称は、Monument Valley Navajo Tribal Park(ナバホ族公園)と言います。


ナバホネイションのカイエンタ(Kayenta)という町でHWY160からHWY163へ。163号を北上するにつれて赤く乾いた大地や大きな岩が目に入るようになり、モニュメントバレーに近づいているのが感じられます。右手に見えてきたエルキャピタン。パンフレットによれば、古代火山のコア(心)と言う意味で「アガスラン」と呼ばれていたこの大岩を、西部開拓時代のアメリカ騎兵隊長が「エルキャピタン」と名付けた(rename)のだそうです。比較するものがないのでわかりにくいですが、この一枚岩、びっくりするほどの巨岩です。(ちなみに、同じくエルキャピタンという名の岩がヨセミテ国立公園にあり、そちらは花崗岩の一枚岩としては世界最大のものだそうです)


21年前、ニューメキシコ州アルバカーキ(Albuquerque, NM)に3ヶ月ほど滞在する機会があり、週末を利用してモニュメントバレーを訪ねました。アルバカーキからギャラップ(Gallup)経由、片道500kmを越えるドライブでしたが、壮大なアメリカの原風景に触れた感動は今も忘れられません。モニュメントバレーで1泊(今回と同じグールディングスロッジ)、行き帰りの経路中にそれぞれ1泊で計3泊4日。グールディングスロッジ以外は宿を予約することなく出発し、夕方近くに辿り着いた町でモーテルを探すという行きあたりばったりの旅でした。今思えば、ちょっと無鉄砲ではありましたが、道すがら、フォーコーナーズ(ユタ、アリゾナ、コロラド、ニューメキシコの州境が一点で交わる全米唯一のポイント)やキャニオン・ディ・シェイ(Canyon de Chelly)など、気ままにあちこち寄り道したのも懐かしい思い出です。

ツアーバスがこの日の宿グールディングスロッジに着く頃には、すでに日が沈んでいましたので、荷物を部屋に運んだらすぐにレストランで夕食を。この日のメニューは分厚いステーキでした。(それにしても、ジャガイモの大きかったこと・・・・・・)


今回の旅行、前半はビュッフェ形式が多かったせいか、食事やお酒の写真をあまり撮りませんでした。


「お腹がいっぱいなので、これお願い」とステーキ半分を私の皿に置いて、コースのデザートのほかにカボチャのチーズケーキを別注文した妻 (笑)


翌日、朝焼けのモニュメントバレー観賞のため、夜も明けやらぬうちにホテルを出発。


ロッジが用意してくれたバスで、最初のビューポイントに到着。あたりはまだ薄暗いのですが、東の空がオレンジ色に染まり始めていました。


上部が広く平らなものはメサ(テーブル状台地)、そこから更に風化が進んで細くなった岩はビュート(残丘または孤立丘)と呼ばれます。モニュメントバレーでは、すべてのメサやビュートに何らかの名前がつけられているそうです。右の大きなものはメリックビュート、左側はレフトミトン(またはウェストミトン)。


スリーシスターズ(3人の修道女)とその右側はミッチェルメサ。


いかにも、西部劇に登場しそうな風景ですね。当たっているかどうかわかりませんが、レフトミトンの向こうは、ビッグインディアン、ブリガムトゥーム、ベア&ラビットなどのように見えます。


ビュートの向こうから、テンガロンハットを被ったジョンウェインや、頭に羽飾りをつけ白いまだらの馬に乗ったインディアンが現れそう(笑)


地平線から上る太陽が、大地を照らし始めました。


その光を受けて、ただでさえ赤いメサやビュートが、一段と赤みを増していきます。


スリーシスターズとミッチェルメサにも・・・・・。


妻も私も、ただ無言で染まりゆく赤い大地を見つめていました。




少し場所を移動しました。青い空と赤い大地のコントラスト。その狭間に浮かび上がるようなレフトミトンとライトミトンのシルエット。


こんなに鮮やかに染まる大地を見たのは、生まれて初めての経験です。


ナバホ族とグールディングスロッジとのつながりは、1923年に遡ります。この地の景観に魅せられナバホ族から土地を購入したグールディング夫妻は、ささやかな交易所を営むうち、誠実な人柄が次第にナバホの人々に受け入れられていきました。そんな折り、1929年ニューヨークウォール街に端を発した大恐慌の煽りが、この辺境の地にも押し寄せました。次第に生活に困窮していくナバホの人々を救いたいと考えた夫妻は、さまざまな困難や無理解を乗り越えて、西部劇のロケ地を探していたジョンフォード監督にモニュメントバレーを紹介することに成功。これ以降、この壮大な景観がジョンフォード監督のカメラを通して全世界に知られることになり、ナバホ族にも一定の収入の道が開けました。ちなみに、写真を見た監督は一目でモニュメントバレーを気に入り、その3日後にはここで撮影を開始したそうです。


この広場には、ナバホの装飾品を扱うテントが並びます。私も手にとってみましたが、とても手の込んだ美しい仕上がりでした。


ドリームキャッチャーも、土産物店に置いてあるものよりも丹精込めて作られており、悪い夢をしっかり掴みとってくれそうな気がします (^-^)ゞ


装飾品を作っているのは、ナバホの民族衣装を着たこの女性。意志の強そうな凛とした表情が印象的でした。後ろで翻っている(上)のは、ナバホネイションの旗です。


日も高くなってきた頃、モニュメントバレーツアーもそろそろ終了。


再びバスへ。思い出深いモニュメントバレーも見納めです。


21年前のアルバムを引っ張り出してみました。このときはレンタカーで園内に入り、ナバホ族の案内なしで行けるところは、半日かけておおむね回りました。ここは、ジョンフォード監督が数々の映画の指揮をとった場所として知られるジョンフォードポイントです。


同じジョンフォードポイントですが、こちらのアングルからだとスリーシスターズが、大きくはっきりと見えますね。


どうやって上ったのか覚えていないのですが・・・・・・(笑)


今も昔もバレー内の道は未舗装なので、結構なでこぼこ道だったのを覚えています。あの頃は知らなかったのですが、公園内の事故やトラブルには保険は適用されないとのこと。何事もなくてよかったです (^-^)ゞ

この日の宿、グールディングスロッジ。写真は2段目のロッジですが、写っていない右側にフロントと、それに続く1階および2階のロッジがあります。21年前に私たちが宿泊したのは、2段目の中央付近の部屋でした。


すべての部屋のベランダから、モニュメントバレーの風景が見えるというのは、このロッジの最大の魅力(今はバレー内にビューホテルができています)で、21年前、私たちもそれを楽しみにしていました。太陽もかなり傾いたころロッジにチェックインし、大急ぎでフロント近くにある製氷機に氷を取りに行ったのですが、ここで大失態。なんとその間に太陽が沈んでしまい、夕焼けを見逃してしまったんです。冷えたビールを飲みながら夕陽を浴びるモニュメントバレーを眺めるはずだったのですが・・・・・。私が戻るのをハラハラしながら待っていた妻には、夕焼けを楽しむこともできなかったとずいぶん恨まれました (^-^)ゞ

今回、朝日に染まるモニュメントバレーを観ることができたので、21年前の私の失敗は水に流してくれることになりました ヽ(^o^)丿

ロッジの後ろにそびえる岩山。ロックドアメサと呼ばれます。左の壁は、グールディングロッジの歴史やジョンフォード監督の映画・ロケに関するものを展示するミュージアム。


ジョンウェイン主演の映画、『捜索者』のポスター。もちろん、監督はジョンフォードです。


私は現役時代、"Duke"というニックネームを頂戴していましたが、2年ほどハワイで勤務した時、「なぜ"Duke"なんだ?」とよく尋ねられました。最初のうちは理由がわからなかったのですが、"Duke"ってジョンウェインのニックネームなんですね。ジョンウェインは、西部劇のヒーローであるにとどまらず、強くて逞しい父親のような存在。多くのアメリカ人にとって、"Duke"と言えばジョンウェインなのだそうです。その後、私の"Duke"について説明することも相互のコミュニケーションに役だち、いつのまにか、「逞しくない、痩せの日本人"Duke"」として認知してもらえました (^-^)ゞ


今回私たちが宿泊したのは、こちらのコテージ。以前はなかったもので、ロッジから離れていますが、部屋は広くて快適でした。


ここだけでも十分に広いのですが、この向こうにもう一つベッドルームがあります。


グールディングスロッジのすぐそばにあるモニュメントバレー空港。朝食を終えてロッジを出発すると、タイミングよくストリップからセスナが離陸していきました。飛行機の離発着のために地面を整地したものや、それに簡単な舗装を施した簡易滑走路のことを「ストリップ」と言います。ちなみに、ラスベガスの目抜き通りであるストリップも、元々はそこが簡易滑走路であったことに由来しているのだそうです。


合衆国政府は、モニュメントバレーを国立公園に指定したいと再三提案してきたのですが、ナバホの人々にとって神聖な地であり、今もなお、この不便な土地で伝統的な暮らしを守っている人がいるため、合意の目処は立っていません。西部開拓時代に遡る白人と先住民との争いや迫害の歴史も、ナバホの人々の気持ちを頑なにさせていることは否めないでしょう。
モニュメントバレーとグランドキャニオンは、私たち夫婦にとって21年前の足跡を辿る旅でもあったのですが、道すがら、懐かしい思い出が去来したり、新しい発見に感動したり驚いたりと、とても充実した時間になりました。次はいよいよグランドサークルの締めくくり、グランドキャニオンです。

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