ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

アメリカ西部 グランドサークルをめぐる旅⑤ 〜 グランドキャニオン

2018年11月16日 | 海外旅行
モニュメントバレーを後にして、一路、グランドサークルをめぐる旅の最終ポイントへ。旅の締めくくりは、コロラド川が500万年~600万年という想像を超える歳月、大地を削りに削って創りあげたグランドキャニオン。その名のとおり、とてつもない大峡谷です。グランドキャニオンは、コロラド川を隔てて北のノースリム(North Rim)、南のサウスリム(South Rim)に分かれますが、一般的なのはサウスリムのほうで、観光客の9割はサウスリムを訪れるのだそうです。


モニュメントバレーからグランドキャニオンまで距離にして約300km。およそ3時間半のドライブですが、アメリカ西部のワイルドな風景が続くので退屈しません。


ルート上ちょうど中間付近、HWY160沿いのテューバシティ(Tuba City)にある「象の足(Elephant's Feet)」と呼ばれる双子岩。車窓から見ただけですが、たしかに象の足に似ています。特に、一番下の岩の起伏は、爪の部分にそっくりでした。駐車場に止まっている車と比較すれば、大きさが想像できますね。この駐車場には、ときどき土産物店も店開きするそうです。


HWY160からHWY89へと進み、グランドキャニオンのゲートウェイタウン キャメロン(Cameron)で、休憩がてらIndian Arts & Craftsという店に立ち寄りました。品揃えも豊富で品質も良さそうだったので、ネイティブアメリカン手づくりのお土産をいくつか買って帰ることに・・・・・ (^-^)ゞ


その店の前に、リトルコロラド川に架かるHistoric Tanner's Crossing Bridgeという古い橋が残されていました。今は新しい橋が架かっていますが、以前はこの橋をHWY89が通っていたそうです。


イーストエントランスからグランドキャニオン国立公園に入り、デザートビュードライブ(Desert View Dr.)へ。途中、いくつかのビューポイントを通り過ごして、ステーキハウスBig Eで遅めのランチです。昨夜のグールディングスロッジでもステーキだったのになぁと思いつつ中へ……(^-^)ゞ


店内は、鹿の角をあしらった照明や、壁に飾られた鹿や狼の剥製や毛皮など、西部劇に出てきそうなワイルドな雰囲気。


ステーキではなくハンバーガーでした 美味しくて付け合わせのポテトも含め、またまた完食 (^-^)ゞ


店のすぐ南には、グランドキャニオン空港があります。セスナやヘリコプターによる遊覧飛行が主体の小さな空港ですが、ラスベガスからの往復便も乗り入れているようです。


食事後ふたたびサウスリムに戻り、最初はマーザーポイント(Mather Point)へ。


展望台に入る前、グランドキャニオンの広大さに比して、この日私たちが移動してきた距離がいかに微々たるものか等々、ビジュアルで説明してくれているのは、明るく快活な現地ガイド Midoriさん。ラスベガス在住20年だそうです。

(広げている地図は、Midoriさん自前のスカーフです)

マーザーポイントは、サウスリムからキャニオンに向けて突き出した自然の展望台。ここからの眺望は、グランドキャニオンの数ある展望台のなかでも最も素晴らしいもののひとつと言われています。

ちなみに、「マーザー(Mather)」とは「マザー(Mother)」ではなく、初代アメリカ国立公園局長スティーヴン・マーザーの名前から付けられたものです。

眼前に広がるグランドキャニオン。東西の幅は446kmですから、ほぼ東京から兵庫県明石市までの距離に相当します(福岡からも同じく明石市くらいの距離)。南北は場所によって幅がありますが、サウスリムの拠点ビレッジ付近で約16km。最も広いところで29km、狭いところでも8kmあるそうです。コロラド川が削った大地の深さも相当なもの。平均的には1,500m、最も深いところは1,800mを越えます。


このグランドキャニオンを西欧人が発見したのは1540年。この辺りがまだスペイン領だった当時、13人のスペイン人調査隊が、今のヤバパイポイントでこの壮大な景色に遭遇しました。彼らが受けた衝撃と感動は、現代の私たちが想像するよりも遥かに大きなものだったことでしょう。ただ、その調査は金の採掘を目的としたものだったので、先住民からその可能性がないことを知らされた調査隊は、深く調べることなくこの地を去ったそうです。その後、19世紀のパウエル探検隊に至るまで、この大峡谷は西欧人の記憶から遠ざかってしまうことになりました。(ジョン・ウェズリー・パウエル(John Wesley Powell):コロラド川の探検を通じてグランドキャニオンを世に知らしめた地質学者で、グランドキャニオンの名付け親。レイクパウエルにもその名を残しています)


サウスリムの中心となるビレッジ(ブライトエンジェルロッジ)に移動しました。コロラド川が侵食した地層が幾重にも重なっているのがわかりますね。ちなみに、コロラド川が今なお浸食し続けているのは、17億年から19億年前の地層。グランドキャニオンの最上層、つまり私たちの足もとの地層でも2億6000万年前のものだそうですから、上から下まで、気の遠くなるような悠久の時の流れを感じさせます。


左端の石造りの建物はコルブスタジオ(Kolb Studio)で、ここを過ぎたところが、グランドキャニオンで最もポピュラーなブライトエンジェル・トレイルの起点(Trailhead)。


そのブライトエンジェル・トレイルを少し歩いたところに、崖をくり抜いた小さなトンネルがあり、その横にぽっかりと開いた自然の穴(夕陽を浴びて金色に光っている部分)が人気の撮影ポイントとなっています。


私たちも通りすがりのハイカーに頼んで、シャッターを押してもらいました (^-^)ゞ


写真中央、コロラド川に向かって続くトレイル沿いに、木々が集中している場所が見えますね。緑のオアシスといわれるインディアンガーデンです。夏場は50℃にも達する気温と、遮るもののない日射が容赦なくそそぐグランドキャニオンのトレイルにあって、貴重な癒しスポットとなっています。


白い崖は、一番上のカイバブ石灰岩からなる地層。夕日を浴びて輝いていました。崖の上に立つ茶色いシックな建物は、エル・トーバーホテル(El Tovar Hotel)。アリゾナ北部に初めて探検隊を送り出したトーバー公爵にちなんで名付けられたホテルで、1905年に開業した当時は、「ミシシッピ川以西で最もエレガントなホテル」と称されたそうです。


日が傾くにつれ、光と影が際だってきます。


キャニオン全体が次第に赤みを増してくる、ダイナミックな日没を体験しました。


サウスリムの何ヵ所かに設置されていたロケーター(Scenic Locator)。円周前方の溝にスコープをセットして中を覗くと、見たいポイントを簡単に発見できるというものです。周囲の景観にマッチしているだけではなく、このロケーター自体がいい雰囲気でした (^-^)ゞ


うっすらと空をピンクに染めて日が沈みました。この日の日没は午後5時39分。これから明日の夜明けまで、キャニオンは漆黒の闇に包まれます。


さて、この日の宿、グランドキャニオン・プラザホテルでの夕食。ついつい食べ過ぎてしまいがちな旅の食事、今夜こそ控えめにしなければと思いつつ、こんなに大きなスペアリブを・・・・・・ (^-^)ゞ


グランドキャニオンの地ビールがあったのでそれを注文。今回の旅行中に飲んだビールの中では、これが一番でした ヽ(^o^)丿


翌朝、日の出20分前のマーザーポイント。東の空がオレンジ色に輝いてきました。


西の空はほんのりとピンクに染まっていますが、まだ、峡谷のどこにも朝の光は届いていません。


20分後の6時46分、ようやく太陽が地平線から顔を覗かせました。


この日、キャニオンに初めて届いた太陽の光。


一刻一刻と広がりながら、峰々を照らしていきます。


日の出から10分後。
赤みの強い夕方の光と異なり、黄色または金色に輝くようなドラマチックな朝焼け。グランドサークルをめぐる旅のフィナーレを飾るにふさわしい光景でした。


あと30分、せめて10分……という思いを断ち切り、思いっきり後ろ髪を引かれながら、マーザーポイントを後にしました (^-^)ゞ


21年前のグランドキャニオン《自分たちで行ったモニュメントバレーとは違って、出張先が企画してくれた、グランドキャニオンや化石の森国立公園(Petrified Forest National Park)、アリゾナ大隕石孔記念物(通称アリゾナ・クレーター、Meteor Crater National Landmark)など、アメリカの自然や史跡をめぐる2泊3日の体験プログラム》では、いくつかのビューポイントを回った後に、4時間のフリータイムがあったにもかかわらず、ビレッジ周辺で過ごしただけだったのが心残りでした。今回はあまり時間はなかったのですが、多少なりとも前回とは違った体験をしておきたくて、ほんのさわりだけブライトエンジェル・トレイルを歩いてみました。たった15分ほど崖に沿って坂道を下っただけですので、トレイルを歩いたとは言えませんが、少しだけハイカー気分を味わえました (^-^)ゞ
また、太陽の光がグランドキャニオンに届き始めた瞬間、そこから峰々のひとつひとつが徐々に照らし出されていく過程は、月並みですが、実に感動的な光景でした。前回訪れたときに、「あちこち移動して眺めるのではなく、同じポイントで時間をかけて光と影の変化を感じるのがグランドキャニオンの醍醐味」と世話役の女性から説明されたことを思い出し、わずかな時間ながらもそれを実感することができた貴重な体験となりました。

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アメリカ西部 グランドサークルをめぐる旅④ 〜 モニュメントバレー

2018年11月10日 | 海外旅行
アメリカ西部の旅も3日目。ザイオン、ブライスキャニオン、アンテロープキャニオンと回ってきたグランドサークルツアーも、残すはモニュメントバレーとグランドキャニオンのみとなりました。名残り惜しいですが、いよいよ旅も後半です。
モニュメントバレーはアンテロープキャニオンと同じくNavajo Nation(ナバホ族居留地)内にあり、正式名称は、Monument Valley Navajo Tribal Park(ナバホ族公園)と言います。


ナバホネイションのカイエンタ(Kayenta)という町でHWY160からHWY163へ。163号を北上するにつれて赤く乾いた大地や大きな岩が目に入るようになり、モニュメントバレーに近づいているのが感じられます。右手に見えてきたエルキャピタン。パンフレットによれば、古代火山のコア(心)と言う意味で「アガスラン」と呼ばれていたこの大岩を、西部開拓時代のアメリカ騎兵隊長が「エルキャピタン」と名付けた(rename)のだそうです。比較するものがないのでわかりにくいですが、この一枚岩、びっくりするほどの巨岩です。(ちなみに、同じくエルキャピタンという名の岩がヨセミテ国立公園にあり、そちらは花崗岩の一枚岩としては世界最大のものだそうです)


21年前、ニューメキシコ州アルバカーキ(Albuquerque, NM)に3ヶ月ほど滞在する機会があり、週末を利用してモニュメントバレーを訪ねました。アルバカーキからギャラップ(Gallup)経由、片道500kmを越えるドライブでしたが、壮大なアメリカの原風景に触れた感動は今も忘れられません。モニュメントバレーで1泊(今回と同じグールディングスロッジ)、行き帰りの経路中にそれぞれ1泊で計3泊4日。グールディングスロッジ以外は宿を予約することなく出発し、夕方近くに辿り着いた町でモーテルを探すという行きあたりばったりの旅でした。今思えば、ちょっと無鉄砲ではありましたが、道すがら、フォーコーナーズ(ユタ、アリゾナ、コロラド、ニューメキシコの州境が一点で交わる全米唯一のポイント)やキャニオン・ディ・シェイ(Canyon de Chelly)など、気ままにあちこち寄り道したのも懐かしい思い出です。

ツアーバスがこの日の宿グールディングスロッジに着く頃には、すでに日が沈んでいましたので、荷物を部屋に運んだらすぐにレストランで夕食を。この日のメニューは分厚いステーキでした。(それにしても、ジャガイモの大きかったこと・・・・・・)


今回の旅行、前半はビュッフェ形式が多かったせいか、食事やお酒の写真をあまり撮りませんでした。


「お腹がいっぱいなので、これお願い」とステーキ半分を私の皿に置いて、コースのデザートのほかにカボチャのチーズケーキを別注文した妻 (笑)


翌日、朝焼けのモニュメントバレー観賞のため、夜も明けやらぬうちにホテルを出発。


ロッジが用意してくれたバスで、最初のビューポイントに到着。あたりはまだ薄暗いのですが、東の空がオレンジ色に染まり始めていました。


上部が広く平らなものはメサ(テーブル状台地)、そこから更に風化が進んで細くなった岩はビュート(残丘または孤立丘)と呼ばれます。モニュメントバレーでは、すべてのメサやビュートに何らかの名前がつけられているそうです。右の大きなものはメリックビュート、左側はレフトミトン(またはウェストミトン)。


スリーシスターズ(3人の修道女)とその右側はミッチェルメサ。


いかにも、西部劇に登場しそうな風景ですね。当たっているかどうかわかりませんが、レフトミトンの向こうは、ビッグインディアン、ブリガムトゥーム、ベア&ラビットなどのように見えます。


ビュートの向こうから、テンガロンハットを被ったジョンウェインや、頭に羽飾りをつけ白いまだらの馬に乗ったインディアンが現れそう(笑)


地平線から上る太陽が、大地を照らし始めました。


その光を受けて、ただでさえ赤いメサやビュートが、一段と赤みを増していきます。


スリーシスターズとミッチェルメサにも・・・・・。


妻も私も、ただ無言で染まりゆく赤い大地を見つめていました。




少し場所を移動しました。青い空と赤い大地のコントラスト。その狭間に浮かび上がるようなレフトミトンとライトミトンのシルエット。


こんなに鮮やかに染まる大地を見たのは、生まれて初めての経験です。


ナバホ族とグールディングスロッジとのつながりは、1923年に遡ります。この地の景観に魅せられナバホ族から土地を購入したグールディング夫妻は、ささやかな交易所を営むうち、誠実な人柄が次第にナバホの人々に受け入れられていきました。そんな折り、1929年ニューヨークウォール街に端を発した大恐慌の煽りが、この辺境の地にも押し寄せました。次第に生活に困窮していくナバホの人々を救いたいと考えた夫妻は、さまざまな困難や無理解を乗り越えて、西部劇のロケ地を探していたジョンフォード監督にモニュメントバレーを紹介することに成功。これ以降、この壮大な景観がジョンフォード監督のカメラを通して全世界に知られることになり、ナバホ族にも一定の収入の道が開けました。ちなみに、写真を見た監督は一目でモニュメントバレーを気に入り、その3日後にはここで撮影を開始したそうです。


この広場には、ナバホの装飾品を扱うテントが並びます。私も手にとってみましたが、とても手の込んだ美しい仕上がりでした。


ドリームキャッチャーも、土産物店に置いてあるものよりも丹精込めて作られており、悪い夢をしっかり掴みとってくれそうな気がします (^-^)ゞ


装飾品を作っているのは、ナバホの民族衣装を着たこの女性。意志の強そうな凛とした表情が印象的でした。後ろで翻っている(上)のは、ナバホネイションの旗です。


日も高くなってきた頃、モニュメントバレーツアーもそろそろ終了。


再びバスへ。思い出深いモニュメントバレーも見納めです。


21年前のアルバムを引っ張り出してみました。このときはレンタカーで園内に入り、ナバホ族の案内なしで行けるところは、半日かけておおむね回りました。ここは、ジョンフォード監督が数々の映画の指揮をとった場所として知られるジョンフォードポイントです。


同じジョンフォードポイントですが、こちらのアングルからだとスリーシスターズが、大きくはっきりと見えますね。


どうやって上ったのか覚えていないのですが・・・・・・(笑)


今も昔もバレー内の道は未舗装なので、結構なでこぼこ道だったのを覚えています。あの頃は知らなかったのですが、公園内の事故やトラブルには保険は適用されないとのこと。何事もなくてよかったです (^-^)ゞ

この日の宿、グールディングスロッジ。写真は2段目のロッジですが、写っていない右側にフロントと、それに続く1階および2階のロッジがあります。21年前に私たちが宿泊したのは、2段目の中央付近の部屋でした。


すべての部屋のベランダから、モニュメントバレーの風景が見えるというのは、このロッジの最大の魅力(今はバレー内にビューホテルができています)で、21年前、私たちもそれを楽しみにしていました。太陽もかなり傾いたころロッジにチェックインし、大急ぎでフロント近くにある製氷機に氷を取りに行ったのですが、ここで大失態。なんとその間に太陽が沈んでしまい、夕焼けを見逃してしまったんです。冷えたビールを飲みながら夕陽を浴びるモニュメントバレーを眺めるはずだったのですが・・・・・。私が戻るのをハラハラしながら待っていた妻には、夕焼けを楽しむこともできなかったとずいぶん恨まれました (^-^)ゞ

今回、朝日に染まるモニュメントバレーを観ることができたので、21年前の私の失敗は水に流してくれることになりました ヽ(^o^)丿

ロッジの後ろにそびえる岩山。ロックドアメサと呼ばれます。左の壁は、グールディングロッジの歴史やジョンフォード監督の映画・ロケに関するものを展示するミュージアム。


ジョンウェイン主演の映画、『捜索者』のポスター。もちろん、監督はジョンフォードです。


私は現役時代、"Duke"というニックネームを頂戴していましたが、2年ほどハワイで勤務した時、「なぜ"Duke"なんだ?」とよく尋ねられました。最初のうちは理由がわからなかったのですが、"Duke"ってジョンウェインのニックネームなんですね。ジョンウェインは、西部劇のヒーローであるにとどまらず、強くて逞しい父親のような存在。多くのアメリカ人にとって、"Duke"と言えばジョンウェインなのだそうです。その後、私の"Duke"について説明することも相互のコミュニケーションに役だち、いつのまにか、「逞しくない、痩せの日本人"Duke"」として認知してもらえました (^-^)ゞ


今回私たちが宿泊したのは、こちらのコテージ。以前はなかったもので、ロッジから離れていますが、部屋は広くて快適でした。


ここだけでも十分に広いのですが、この向こうにもう一つベッドルームがあります。


グールディングスロッジのすぐそばにあるモニュメントバレー空港。朝食を終えてロッジを出発すると、タイミングよくストリップからセスナが離陸していきました。飛行機の離発着のために地面を整地したものや、それに簡単な舗装を施した簡易滑走路のことを「ストリップ」と言います。ちなみに、ラスベガスの目抜き通りであるストリップも、元々はそこが簡易滑走路であったことに由来しているのだそうです。


合衆国政府は、モニュメントバレーを国立公園に指定したいと再三提案してきたのですが、ナバホの人々にとって神聖な地であり、今もなお、この不便な土地で伝統的な暮らしを守っている人がいるため、合意の目処は立っていません。西部開拓時代に遡る白人と先住民との争いや迫害の歴史も、ナバホの人々の気持ちを頑なにさせていることは否めないでしょう。
モニュメントバレーとグランドキャニオンは、私たち夫婦にとって21年前の足跡を辿る旅でもあったのですが、道すがら、懐かしい思い出が去来したり、新しい発見に感動したり驚いたりと、とても充実した時間になりました。次はいよいよグランドサークルの締めくくり、グランドキャニオンです。

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アメリカ西部 グランドサークルをめぐる旅③ 〜 アンテロープキャニオン

2018年11月07日 | 海外旅行
朝日に映えるブライスキャニオンに後ろ髪を引かれながら、ツアーバスはアンテロープへと向かいました。かつて、この付近にはプロングホーン(別名アンテロープ)という鹿の仲間が多く生息しており、その角の流曲線が、キャニオンの流れるような縞模様に似ていることから、アンテロープキャニオンと名付けられたのだそうです。


アンテロープキャニオンが近づいてきた頃、左の車窓からちらりと見えたレイクパウエル。ダム付近のごく一部しか見えませんが、グレンキャニオンと呼ばれた峡谷を堰き止めて作った全米第2の人造湖です。グランドサークルとは、この湖を中心として半径230kmのエリアと、その範囲に含まれる壮大な景観全体を表しています。(写真は、グレンキャニオンダム Glen Canyon Dam)


反対側の車窓にはコロラド川。この8km下流に、コロラド川が赤い大地を馬蹄形にえぐったホースシューベンドがあります。


左にレイクパウエルとグレンキャニオンダム、右にコロラド川が見えるのは、写真上から南下するHWY89が東にカーブしたところ。もう少し進んで、ペイジという町(写真右)を過ぎてHWY89を左折すると、目指すアンテロープはもうすぐです。ちなみに、コロラド川が大きく東西に蛇行している部分がホースシューベンド(写真下部左寄り)。


キャニオンツアーの出発地点に到着しました。アンテロープキャニオンにはアッパーとロアーがありますが、私たちが訪れたのはアッパーのほう。地面からナバホ砂岩の岩山が立ち上がるアッパーに対して、ロアーは、地面の割れ目から谷間に降りていく形になります。


ツアーの順番を待っている間に、ナバホ族の若者が部族に伝わる踊り(7・8本の輪を操って、蝶や鳥など自然界の生き物を表現するもの)を披露してくれました。


車に揺られておよそ15分。ここがアッパーアンテロープの入口です。アンテロープキャニオンは、1931年ナバホ族の羊飼いの少女が、戻ってこない羊を探しているときに、偶然、大地の割れ目の奥に広がる美しい縞模様の峡谷を発見したのだそうです。(これはロアーアンテロープで、その後間もなくアッパーも発見されました)


ナバホ族のガイドさんの指示に従って内部に入ります。


ここは、アッパーキャニオンで最も広い場所です。私たちのグループに同行してくれたのは、3人のナバホのガイドさん。


内部は光が届きにくいので、しっかりとカメラを構えないとブレてしまいます。


谷の深さとあいまって、複雑な曲面が微妙な陰影を創り出していました。


アンテロープの周辺に雨が降ると、鉄砲水となってこの峡谷に押し寄せます。狭い峡谷で鉄砲水は更に加速され、水と砂が岩壁を削りとることによって、このような自然の造形ができあがったのだそうです。今の姿をそのままとどめることはなく、鉄砲水が起きるたび、アンテロープキャニオンはその形を変えていきます。


複雑に入り組んだ狭い間隙を通って谷底まで届く強烈な一条の光は「ザ・ビーム」と呼ばれ、この上なく幻想的な光景です。実は私も、「運が良ければ……」と少しだけ期待していたのですが、この現象が見られるのは、太陽が真上に上る夏の時期(しかも正午ごろ)だけなんだそうです。


ザ・ビームは見ることができませんでしたが、谷間に射しこむ光と影が織りなす光景に大感動。


案内してくれるナバホのガイドさんは、キャニオンの写真撮影の名人です。お願いすると「どうしてこんな写真が撮れるの?」と驚くような写真を撮ってくれます。


モノクロームのようなこの写真も彼らが撮ってくれたものですが、削りとられた砂岩表面の表情をよく伝えていますね。


谷間を歩いていると、神秘的な光景の連続で、ついついその場にとどまりたくなりますが……、


ツアーは5分間隔くらいで次々に入ってくるので、あまり悠長にはしていられません (^-^)ゞ


ちなみに、キャニオン内部には水とカメラ以外のものを持ち込むことは固く禁じられています。女性の小さなポーチなども含めて、一切例外は認められないようですので、注意が必要です。


以前、観光客のバッグで峡谷の岩肌を傷つけてしまったからだと聞きました。


それとは逆行するようですが、私たちのような一般的なツアーのほかに、写真撮影を目的とした”Photo Tour “もあります。


その場合に限り、撮影に必要な三脚などの機材を持ち込むことが許されているようです。


私たちの前後にも、このようなフォトツアーの少数グループがありました。


たしかに、満足のいく写真を撮るためには、三脚は必須かなと思います。


谷間はかなり深いので基本的に内部は暗く、美しく光が射す部分は逆に眩しいほどなので、被写体としては難しいんですよね。


私もたくさん写真を撮りましたが、8割がたはブレブレで使いものになりませんでした (^-^)ゞ


アッパーの出口(影の部分。また、ここから同じ道を引き返すので、正しくは出口ではありません)です。


赤い砂に覆われたこの地域で、アンテロープキャニオンのような峡谷がどのように出来上がったのかを、周囲の砂(土ではないんです)を使って説明してくれました。


ツアーを終了してでこぼこ道を車で引き返します。この道(道というより低地)は干上がった川底のようなもので、一旦雨が降ると周囲の雨がここに集中し、アンテロープキャニオンに押し寄せ鉄砲水となるんです。とても危険なので、上流部に雨が降るとキャニオンツアーは中止となります。


今回のグランドサークルツアーでめぐった場所のうち、このアンテロープキャニオンとモニュメントバレーは、ナバホ族の準自治領であるNavajo Nationの中にあり、ナバホの人々が管理運営しています。観光にあたっては許可証を要するエリアで、必ずナバホ族のガイドの同行が必要となります。
このナバホネイションは、全米各地(主として中西部)に存在するネイティブアメリカン居留地のなかでも、ユタ州南東部からネバダ州北東部、ニューメキシコ州北西部にまたがる最も大きなもの。ネイションには一つの「国」に匹敵するほどの強い自治権が認められており、ナバホ独自の立法・行政・司法の三権が独立して存在するのだそうです(ナバホネイションのHP)。ナバホネイション大統領・副大統領も、ナバホ族の選挙で選ばれるのだとか。ネットを検索していると、警察や陸軍に準ずる組織があるとも紹介されていました。
次は、21年ぶりに訪ねた懐かしいモニュメントバレーの記事をアップします。

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アメリカ西部 グランドサークルをめぐる旅② ~ ブライスキャニオン

2018年11月03日 | 海外旅行
ザイオン国立公園を後に、Mt.Carmelを越えてブライスキャニオンに向かいました。このルートが開通したおかげで、ザイオンとブライスキャニオンの距離は約120kmと大幅に短縮されたため、この二つの国立公園を併せて訪れる人が多いそうです。


ザイオンやブライスキャニオンが位置するユタ州南西部は、デキシー・ナショナルフォレスト(Dexie National Forest)と呼ばれる森林地帯。これまで通ってきた砂漠主体のルートとは違う風景が広がります。


ブライスキャニオンに向けて、最後の分岐(HWY89からUT12へ)を右折すると、赤い岩山や奇岩、尖塔が忽然と現れます。レッドキャニオンです。


赤い砂岩の壁とそれを取り囲む松の緑のコントラストが見事。


このあたり一帯、こうした赤い砂岩が広がっていますが、なかでもこの二つの尖塔が印象的でした。愛称はソルト&ペッパー。確かに、ペッパーミルを思い起こさせるシルエットですね。写真ではやや白っぽく写っていますが、実際はもっと赤が濃いのでドライブ中でもすぐに目につきます。


ブライスキャニオンのゲートに到着。既に日が傾きかけたころですが、私たちのバスが入園手続きをしているうちに、続々と車がゲートを通過していきました。


ブライスキャニオンビジターセンター。ジオラマやスライドで、ブライスキャニオンの地質や自然環境などを紹介する施設です。


公園に入ってすぐに見かけたミュールディア(ミュールディア、エルク、プレーリードッグなどの野生動物には、その後も何度か出会いました)。アメリカ西部一帯に広く生息する鹿の仲間で、やや緑がかったグレーの毛並みと白いお尻が特徴です。


最初に向かったのは、主要なビューポイントとしては最も南に位置するブライスポイント。


展望台に向かう道から、ブライスキャニオンの一部が見え始めました。


ブライスポイントに立つと、目の前にこの景観が広がります。これまで私が目にしてきた風景とはまったく異なる圧倒的な存在感に、しばらくは呆然と立ち尽くしていました。


ブライスポイントの標高は2529m。風が強いこともあり、夕方になると少々肌寒さを感じます。


日が翳りはじめると陰影がくっきり。太陽のあたっている部分が輝いて見えました。


場所を移動して、インスピレーションポイントからの眺め。ピンクや白、グレーと、地層の違いがよくわかります。




日没にはまだ時間がありますが、ブライスポイントに立ったときから40分経過し、かなり太陽が傾いてきました。


雨や雪、風が石灰質の層を削りとり、岩に滲みこんだ水分が凍結して亀裂を生ずることなどによって、こんな奇跡のような景観が生まれました。パンフレットの解説によると、まずは壁や一枚岩のような状態(Canyon Wall or Fin)となり、次にその薄い部分が空洞となって窓(Windows)を形成。最後には、ブライスキャニオンに林立する尖塔(Hoodoo)が完成するのだそうです。


翌朝、日の出前にホテルを出て向かったのはサンセットポイント。稜線付近はオレンジ色に染まり、白から青、そして深い藍色へと変わっていく空のグラデーションが神秘的でした。


すでに真っ暗ではないのですが、近くの斜面はまだこんな状態です。サンセットポイントの標高は2438m。この時期、朝は氷点下になることも多いそうで、私はダウンを着込んで日の出を待ちました (^-^)ゞ


いよいよ太陽の光が届きはじめたブライスキャニオン。


反対側の谷にも・・・・・・。


足もとのNavajo Loop Trailが、日に照らされてはっきりと見えてきました。


このとき、太陽はまだ顔を覗かせたばかり。


グランドステアケースのピンククリフに位置するブライスキャニオン。


ピンクだけではなくさまざまな色彩が、太陽の光によって更に複雑に変化します。ここで私たちはブライスキャニオンを後にしましたが、時間が許せば、あと1時間はここに立っていたいと思いました。


ブライスキャニオンが目の前に広がった瞬間は、今も忘れられられません。写真では見ていても、目の前にこんな景色が広がっていることに心から感動しました。ここに来ることができて、本当に良かったです。
グランドサークルをめぐる旅、この次はアンテロープキャニオンです。もう少しおつきあいください (^-^)ゞ

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アメリカ西部 グランドサークルをめぐる旅① ~ ザイオン国立公園

2018年11月02日 | 海外旅行
秋の深まりが感じられる10月下旬、アメリカ西部グランドサークルをめぐるツアーに参加し、息をのむような北米大陸の大自然を体験してきました。福岡空港から韓国インチョン国際空港で乗り継ぎ、アメリカへと私たちを運んでくれたのは、客席部分が縦に長い2階建てのエアバス380。


このアングルからだと総2階仕様になっているのがよくわかりますね。


インチョンからロサンゼルス国際空港まで概ね11時間、映画を4本観ながらのんびり過ごした機内。


最初に出されたチェリートマトのカプレーゼは、赤ワインにぴったりのおつまみ。2杯お替りしました


フルーツやチーズの盛り合わせにはデザートワインを。この日の晩酌はこれでおしまい (^-^)ゞ


入国審査にずいぶん時間がかかり予定より出発が遅れましたが、トム・ブラッドレー国際線ターミナルからバスで、LAからラスベガスに向けI-15(インターステイト15号)を一路北上。周囲は、カリフォルニア州からユタ州、ネバダ州、アリゾナ州にまたがる広大なモーハヴェ砂漠です。


約450kmの道のりをひた走って、日が沈む前にラスベガスに到着しました。


夕食後は、24時間眠らない街の目抜き通り、ストリップ(Las Vegas Blvd.)を散策。こちらは、ラスベガスを代表する豪華ホテルアンコール(Encore)とウィン・ラスベガス(Whynn Las Vegas)です。


上の写真右、ウィン・ラスベガスのきらびやかなカジノスペースで、ポーカーやスロットマシンをちょっと体験 (^-^)ゞ

(カジノは撮影不可なので、写真はありません)

こちらは二十数年前に宿泊したトレジャー・アイランド。このときは、ニューメキシコ州アルバカーキから飛行機で往復しました。ダウンタウンまで足を延ばして、フリーモントストリートのイルミネーション(当時はまだ始まったばかりでした)を見たり、50センチはあろうかというハーフヤードジョッキでビールを飲んだのも懐かしい思い出です。


明けて翌朝、ラスベガスを出発し引き続きI-15を北上しました。ユタ州に入ると、土地の起伏が大きくなり、カリフォルニアやネバダとは風景が少し変わったように感じられます。


大規模な土地の隆起や巨岩・奇岩が次々と現れ、日本では目にすることのない景観が目を楽しませてくれました。


ゴツゴツした岩肌。地層が斜めに走っている部分も多く見受けられます。


広い砂漠の中を通過する貨物列車をたびたび目にしました(左右に連なる黒い線のような部分)。これは燃料らしきものの貨車ばかりなので真っ黒ですが、一般の貨物列車はずっとカラフルです(笑)
日本では見られないほど大規模に貨車が連結されており(最大130両にもなることもあり、機関車3~5台で牽引するのも普通なんだとか)、先頭車両から最後尾までは、とてもカメラの画角に収まりきりません。


赤や緑の地層が積み重なって、さながらミニチュア版グランドキャニオンのようです。


ザイオンに近づくにつれ、岩肌の色彩があざやかになってきました。


サウス・エントランス(と言ってもゲートがあるわけではなく、エントランスフィーを徴収するチェックポイント)を通過し、いよいよザイオン国立公園へ。ヴァージン川に沿って公園内を走る道(Zion Canyon Scenic Drive)沿いには、存在感のある巨岩が連続します。


公園内は基本的に一般車両は乗り入れ不可で、入口のビジターセンターに駐車し、園内を周回するシャトルバスを利用するのだそうです。ザイオンロッジにバスを止め、周辺を散策しました。この日は観光客に加えて、地元の園児や小学生がピクニック。芝生広場は子供たちの歓声で賑やかでした。


ザイオン・ロッジ裏の岩壁は、夕陽があたったらさぞきれいだろうと思わせる赤さ。残念ながら、写真では色あいがはっきりしませんが・・・・・ (^-^)ゞ


ザイオンとは、旧約聖書に出てくる「聖なる山」という意味だそうです。


ロッジの後ろにそびえるのは、天使が舞い降りる岩「エンジェルス・ランディング(Angels Landing)」。今回はツアーだったので2時間程度の滞在だったのですが、もし時間があれば、この岩の頂上に登るエンジェルス・ランディング トレイルにも挑戦してみたいものです。往復5マイル、所要時間約4時間のちょっとハードな行程の先には、ザイオンキャニオンと白い王座(Great White Throne)の絶景が待っています。


再びバスへ。少し戻ってサウス・エントランスの手前から、東に向けてMt.Carmelを山越えします。Zion-Mount Carmel Highweyと呼ばれるこの道も、Zion Canyon Scenic Driveに劣らぬ絶景の連続でした。


この道は、ザイオン国立公園からブライス・キャニオンにアクセスするために作られたもので、それまでは直接行き来することはできなかったそうです。


ルートの一部では、Mt.Carmelの岩壁を削ったトンネル(Mt.Carmel Tunnel)を通過します。1930年7月4日(独立記念日ですね)の開通当時は、アメリカで一番長いトンネルでした(1.1マイル=1,760メートル)。


山頂付近を見ると、アーチ状の巨大な岩が目に入ります。グレートアーチと呼ばれるこの岩の上部はCanyon Overlookと呼ばれるトレイルになっており、歩いている人を見かけることもしばしばだとか。


トンネルに到るまでのZion-Mount Carmel Highwayは「つづら折り」の連続で、バスは見る見るうちに高度を上げていきます。写真中央付近、岩肌に穴が開いているのが見えるでしょうか。これは、Mt.Carmel Tunnelに開けられた窓なんです。


その窓からの眺め。景観を楽しむためではなく、空気穴として設けられたものだそうです。


トンネル内には、数ヶ所の窓が切ってあります。この窓からは、目の前の岩盤に手が届きそう (^-^)ゞ


トンネルを抜け、Mt.Carmelの東斜面へ。グランドキャニオンからザイオン、ブライスキャニオンに到る、一連の地層の積み重なりのことを「グランド・ステア・ケース」と言い、グランドキャニオンの最下層とザイオンの最上層、ブライスキャニオンの最下層とザイオンの最上層は、距離は離れていますが、それぞれ同じプレートに属しているそうです。


トンネルを出ると景色が一変したように感じられたのは、出口付近の地層がグランドステアケースの中央、白い層にあたっているためだったんですね。


ちなみに、茶色い層の部分は「チョコレート層」と呼ばれます。


チェッカーボード・メサと呼ばれるビューポイントの駐車場。チェッカーボードは後ろ側ですが、こちらの岩山もなかなか見応えがありました。


これがチェッカーボード・メサ(Checkerboard Mesa)。逆光のため見にくいですが、岩肌にチェッカーフラッグのような格子状のラインが入っています。雨や風による侵食、冬季、岩に侵入した水の凍結、その他様々な自然環境が作用し、長い年月を経てこのような不思議な模様が刻まれたのだそうです。


解説板のほうが格子模様や微妙な色あいがわかりやすいですね。


白い地層に覆われて、ホールケーキを重ねたようも見えます。この先にはイーストエントランスがあり、このあたりがザイオン国立公園の東の境界になります。公園内の道路は茶色く舗装されていますが、これは周囲の景観を損ねないための配慮だそうです。


アメリカ西部の大自然、グランドサークルを巡る旅。今回訪ねたのは、ザイオン国立公園、ブライスキャニオン、アンテロープキャニオン、モニュメントバレー、そしてグランドキャニオンです。絶え間なく作用する自然の力、気の遠くなるような長い年月が創り出した地球表面の荒々しくも繊細な姿。そのスケールの大きさ、荘厳で繊細な景観に感動し、感銘を受けた8日間でした。
また、ツアーでご一緒したお仲間には、100日を越える世界一周クルーズを楽しまれたご夫妻や1週間前までロンドンに滞在しておられた方、あるいは年に3・4回は海外に行かれるというご夫婦も多く、そうした方々から伺った貴重な体験談など、人とのふれあいが楽しく印象深い8日間でもありました。
写真や記憶を整理しながら記事をアップしていきますので、暫しのあいだお付き合いいただければ幸いです。

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