岩波ホールで上映中の映画「シリアの花嫁」をみた。新聞の紹介記事でゴラン高原を舞台にした映画だと書いてあったので、ゴラン高原の今を知りたいと思ったから。
ゴラン高原は、かつてはシリア領であったが、1967年の第三次中東戦争でガザ地区やヨルダン川西岸地区とともにイスラエルが占領し、今にいたっている地域だ。日本からも国連平和維持活動の一環として自衛隊が派遣されている(なお、蛇足ながら、麓にはイエス・キリストの活動の舞台になったガリラヤ湖がある。)
今年に入って、オバマ政権発足直後、米政府高官がシリアを訪問したことが報道されて、停滞する中東和平の打開の動きが期待されたが、昨日はイスラエルに右派政党主導政権が発足するなど、現実は一筋縄ではいかない。
さて、ゴラン高原には昔からの住民がいて、イスラム教の少数派であるドゥルーズ派の人々も多い。かれらはシリアへの帰属意識が強く、イスラエルの占領にたいして反感をもっている――そういうことを私は今まで知らなかった。
映画の画面には古い集落が出てきて、背後には赤茶けた大地が広がる。ロケ地がどこかはよく分からないが、荒涼としたその風景はゴラン高原のイメージと一致する。
映画は、ドゥルーズ派の住民モナが、シリアの親戚に嫁ぐ日を描いている。イスラエルとシリアの間には国交がないので、一度国境を越えてしまったらもう戻れない。モナとその家族である父、母、姉、長兄、次兄、さらにその夫や妻、子供、恋人――それらの人々の喜びと悲しみと、それぞれの抱えている問題が、ユーモラスに描かれながら、次第に国境を越える時間、午後3時が迫ってくる。いざ国境を越えようとしたとき、思いがけない事態が起きる。
これから映画をご覧になるかたもいると思うので、このあとの展開は控えておくが、ハラハラすることはまちがいない。そして最後のシーン、これをどう受け止めるかは、人によって分かれるだろう。明るい未来に向かって一歩を踏み出したのか、あるいは無残な悲劇に転じる直前で幕が下りたのか。結末を観客にゆだねていること、それはこの映画の優れた点だ。私の見方はどうかと言えば、悲観的にしかなれないが。
思えば、ゴラン高原以外にも、人為的な「国境」の不条理さは存在する。身近なところでは、朝鮮半島の38度線の問題もそうだ。私も見学に行って、軍事的緊張を肌で感じた。
東西ベルリンを隔てる壁が崩れたのは1989年、わずか20年前のことだ。今でもベルリンでは壁の一部や検問所が残されている。歴史を忘れないために。
ゴラン高原も38度線も、早く過去のこととして語れる日が来るとよいのだが。
(2009.03.30.岩波ホール)
ゴラン高原は、かつてはシリア領であったが、1967年の第三次中東戦争でガザ地区やヨルダン川西岸地区とともにイスラエルが占領し、今にいたっている地域だ。日本からも国連平和維持活動の一環として自衛隊が派遣されている(なお、蛇足ながら、麓にはイエス・キリストの活動の舞台になったガリラヤ湖がある。)
今年に入って、オバマ政権発足直後、米政府高官がシリアを訪問したことが報道されて、停滞する中東和平の打開の動きが期待されたが、昨日はイスラエルに右派政党主導政権が発足するなど、現実は一筋縄ではいかない。
さて、ゴラン高原には昔からの住民がいて、イスラム教の少数派であるドゥルーズ派の人々も多い。かれらはシリアへの帰属意識が強く、イスラエルの占領にたいして反感をもっている――そういうことを私は今まで知らなかった。
映画の画面には古い集落が出てきて、背後には赤茶けた大地が広がる。ロケ地がどこかはよく分からないが、荒涼としたその風景はゴラン高原のイメージと一致する。
映画は、ドゥルーズ派の住民モナが、シリアの親戚に嫁ぐ日を描いている。イスラエルとシリアの間には国交がないので、一度国境を越えてしまったらもう戻れない。モナとその家族である父、母、姉、長兄、次兄、さらにその夫や妻、子供、恋人――それらの人々の喜びと悲しみと、それぞれの抱えている問題が、ユーモラスに描かれながら、次第に国境を越える時間、午後3時が迫ってくる。いざ国境を越えようとしたとき、思いがけない事態が起きる。
これから映画をご覧になるかたもいると思うので、このあとの展開は控えておくが、ハラハラすることはまちがいない。そして最後のシーン、これをどう受け止めるかは、人によって分かれるだろう。明るい未来に向かって一歩を踏み出したのか、あるいは無残な悲劇に転じる直前で幕が下りたのか。結末を観客にゆだねていること、それはこの映画の優れた点だ。私の見方はどうかと言えば、悲観的にしかなれないが。
思えば、ゴラン高原以外にも、人為的な「国境」の不条理さは存在する。身近なところでは、朝鮮半島の38度線の問題もそうだ。私も見学に行って、軍事的緊張を肌で感じた。
東西ベルリンを隔てる壁が崩れたのは1989年、わずか20年前のことだ。今でもベルリンでは壁の一部や検問所が残されている。歴史を忘れないために。
ゴラン高原も38度線も、早く過去のこととして語れる日が来るとよいのだが。
(2009.03.30.岩波ホール)