Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

子供の情景

2009年04月23日 | 映画
 映画「子供の情景」がはじまったので、さっそくみに行った。シューマンのピアノ曲と同じ題名だが、とくに関係はない。映画はアフガニスタンの少女の物語だ。

 アフガニスタンのバーミヤンの岩山には、かつては巨大な仏像があったが、2001年にタリバンによって爆破された。あのときの衝撃はいまだに多くの人の記憶に残っていると思うが、その岩山には多くの小さな石窟があり、今も貧しい人たちが住んでいる。その中に6歳の少女バクタイもいる。
 映画の冒頭。バクタイは赤ん坊をあやしているが、なかなか泣き止まない。そのとき隣の男の子のアッバスが教科書を読む声がきこえる。「妹が寝付かないから静かにして」というが、一向にやめない。そのうちアッバスが小話を読み始める。バクタイはその面白さに引き込まれて、自分も学校に行きたいと思う。アッバスは「ノートと鉛筆がなければ行けない」という。そこで、バクタイの行動がはじまる。

 カメラはバクタイの行動を克明に追う。その密着度はドキュメンタリー映画のような感触をもつ。ときにはバクタイの眼に代わって、その眼がみている情景を伝える。
 監督はイランの女性ハナ・マフマルバフで、撮影開始のときは18歳、完成時点で19歳だったそうだ。若い年齢の強い思い入れが感じられる映像だ。

 映画の中ほどで、バクタイが荒野を歩いていくシーンがある。男の子たちが「俺たちはタリバンだ」といって行く手をさえぎる。かれらは戦争ごっこをして遊んでいるのだが、バクタイを処刑するといって、穴に入れる。各人の手には石がにぎられている。
 男の子の一人がバクタイに泥水を差し出す。「最後の水だ、飲め」。これが妙に生なましくて、私は悲しくなった。
 タリバン支配下では公開処刑、石打ち、鞭打ちが日常的におこなわれていて、それを娯楽のない市民が見物している――そういう話を読んだことがある。そうだとしたら、それがいかに子どもの心を荒廃させることか。

 アフガニスタンというと、私は1979年のソ連軍の侵攻を思い出す。家ではテレビをみない私は、昼食時の職場の食堂で、テレビに映し出された戦車の映像に釘付けになった。けれども情けないことに、いつしか忘れた。次に2001年3月にバーミヤンの仏像爆破のニュースが飛び込んできて心を痛めていたところに、同年9月11日の同時多発テロが起き、それが一気に多国籍軍のアフガニスタン侵攻に結びつくさまを暗鬱な気持ちで見守った。けれどもその後に起こったイラク戦争によって、またアフガニスタンのことは忘れた。
 私は、映画からの帰り道、チラシにのっている可愛い顔がしきりに眼に浮かんだ。あの顔は、ほんとうは、私の無理解と無関心と無為をみつめていると思ったら、胸が痛んだ。
(2009.04.22.岩波ホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする