Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

シュート・ザ・クロウ

2009年04月20日 | 演劇
 新国立劇場の「シリーズ・同時代【海外編】」の第2弾は、1961年生まれの北アイルランドの劇作家オーウェン・マカファーティーの「シュート・ザ・クロウ」という作品。もちろん日本初演だ。

 北アイルランドの中心都市ベルファストの建設現場で働く4人のタイル職人の話。かれらは2人1組になって隣り合った2つの部屋のタイル貼りをやっている。1組はその日定年を迎える初老の男と見習い的な若者、もう1組はともに壮年の男。かれらは各人各様の理由でおカネが必要であり(その理由は「娘がフランスに留学したがっている」などといった慎ましいものだが)、それぞれの組でタイルを盗む話が進む。ところがそれが妙にこじれてきて――。

 以後の展開よりも、4人それぞれの人生や、個性のちがいが面白い。これは冴えないオジサンたちの話だ。今の世の中ではあまり居場所もなくなって、仕事の現場でわずかに生きながらえているオジサンたちの生態(でも、結局はそういったオジサンたちが社会を底辺で支えているのだが)をえがいていて、行間には温かさが感じられる。
 バリバリの現代劇だが、技巧的なものは感じさせない。筋の構成はうまいし、冒頭のシーンが最後に回帰する点も巧妙だが、すべては肉体労働の現場に収斂して、観念的なものの入り込む隙がない。その現実感に私は引き込まれた。

 プログラムの所々にかかれているように、ほんらいは北アイルランドの独立問題をめぐる緊張した日常(IRAの武装闘争の終結が報道されたのはつい最近のことだ)と市民の疲労感がその背景にあると想像できる。けれども観劇中はそのことを意識せず、むしろ日本の職人さんたちの日常だと思った。
 そう思った理由のひとつは、翻訳上の制約によるだろう。プログラムにのっている座談会によると、原文では3行に1回くらいの割合で“Fuck!”という台詞が入るそうだ。これを日本語に移すことは難しい。仕方なく「糞!」などと訳したそうで、翻訳者の苦労がしのばれるが、そこで失われる感覚的なものはやはりある。
 もうひとつは、北アイルランドと日本の社会状況のちがいだ。今の平和な日本にいて北アイルランドの社会をほんとうに理解することは難しいにちがいない。作者のマカファーティーは今回の上演に当たって来日したそうだが、日本をどう感じたろうか。

 タイトルの「シュート・ザ・クロウ」は、文字どおりだと「カラスを撃て」だが、俗語で「さっさと仕事を終わらせようぜ(パブで一杯やろう)」という意味だそうだ。かつて日本でも昭和の高度成長期にはオジサンたちが仕事を終えて、帰りに屋台のおでん屋でコップ酒を飲む風景がみられた。今、あのオジサンたちの居場所はどこなのだろう。
(2009.04.18.新国立劇場小劇場)
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