Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ニクソン・イン・チャイナ

2011年03月04日 | 音楽
 日本にいながらにしてメトロポリタン歌劇場の主要公演をわずか数日後にみることができる時代になった。ジョン・アダムズの「ニクソン・イン・チャイナ」。1972年のニクソン大統領の中国訪問をオペラ化したもの。初演は1987年。

 現実に起きた事件をオペラにしたわけだから、いわゆる「時事オペラ」にはちがいないが(WikipediaのNixon in Cina(英語版)を読んでいたらCNN operaという言葉が出てきた。なるほど!)、その一言では片付けられない内容をもつ作品だ。ストーリーは事実にそっているが、それだけではなく、人間にたいする深い洞察が感じられる。

 全3幕の構成。第3幕では「自分たちはなにかをなし得たのだろうか」という徒労感が広がる。ザラッとした苦い味はオペラにはまれなものだ。ゆらゆらと揺れるような音楽が続き、サクソフォーンのけだるい音色が流れる。

 毛沢東の音楽が強烈だ。ニクソン大統領との会談にのぞんだ毛沢東は、意味不明の言説をまくしたてる。現実的な外交の話をはさむ余地はない。西洋人からみた東洋人のカリカチュアか。だが、幕間の(トーマス・ハンプソンによる)当時の駐中国大使へのインタビューによると、事実そうだったらしい。

 江青の音楽も圧倒的だ。第2幕のフィナーレ。手に「毛沢東語録」をふりかざして叫ぶ江青の姿には、思わずたじろぐものがある。江青にあおられて、中国人たちが破壊と殺戮を始める。文革の再現。音楽の暴力性を視覚化した演出だ(ピーター・セラーズの演出)。

 一方、ニクソン大統領とその夫人は、人の善さが際立った描き方をされている。第1幕冒頭で中国に降り立ったニクソン大統領の気負いは、ナイーヴそのもの。上記の毛沢東との会談での当惑は、西洋人の感情移入を容易にするだろう。

 ニクソン夫人は、優しさと気高さによって、西洋人の価値観を体現した描き方をされている。第2幕のアリアでは、両国の平和友好を願いながらも、底にひそむ虚構性に心を曇らせる。このアリアはオペラ全体の構図を要約したものだ。

 キッシンジャーはブッフォ的な描き方をされていて意表を突かれる。第2幕のバレエ(江青の革命バレエ「紅色娘子軍」)の悪役を兼務するのも奇抜な発想だ。

 周恩来は実務家としての描き方。第3幕の幕切れで「自分たちはなにかをなし得たのだろうか」と自問するのは周恩来だ。登場人物のなかでは、わたしたちに近い感覚をもつ人物。西洋人と東洋人の相互理解を託すとしたら、この人物しかいないかもしれない。
(2011.3.3.東劇)
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