Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

山田和樹&日本フィル

2011年04月25日 | 音楽
 日本フィルの東京定期は、予定されていた指揮者が来日しなかったので、山田和樹さんが指揮台に立った。山田さんはベルリンから急きょ帰国したらしい。同フィルは横浜でも定期をしているが、こちらは広上淳一さんが指揮台に立った。広上さんは旧知の指揮者、山田さんは今後が楽しみな指揮者。

 横浜定期は予定されていたプログラムをそのまま引き継いだが(それはそれでたいしたものだ)、東京定期はガラッと変えた。予定されていたプログラムは、シベリウスの交響詩「夜の騎行と日の出」とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。前者は通常のレパートリーには含まれないし、後者は3.11の被害の記憶が生々しい現状では、ためらいがあるのもわかる。

 変更後のプログラムは、マーラーの「花の章」、モーツァルトのクラリネット協奏曲、マーラーの交響曲第4番。予定されていたプログラムとの関連がなくもなく、かつコンセプトはまったく異なって、死の世界から天上の世界へと脱皮している。これはオーケストラ側の提案なのだろうか、それとも指揮者のレパートリーとの関係なのだろうか。

 1曲目の「花の章」が始まると、オーケストラの甘美な音色と、甘美な歌い方に驚いた。このような音色が出ることは、絶えて久しくなかった。この曲はマーラーの失われた恋への追憶といわれているが、そのことがこれほどよくわかる演奏は、少なくともわたしには初めてだった。

 2曲目のクラリネット協奏曲は、弦の編成を小さくして、繊細で淀みない流れを作っていた。独奏は首席奏者の伊藤寛隆さん。急きょ決まった曲目。大曲で、かつ準備もままならない状態にもかかわらず、平然とこなすのは、さすがにプロだ。滑らかな語り口がオーケストラの演奏スタイルと合致していた。もう一歩深い陰影があれば、さらによかった。

 3曲目の交響曲第4番では、甘美な音色が戻り、ぐっと踏み込んだ意欲的な箇所もあり、最後まで聴き手を引きつけて離さなかった。芽の摘んだアンサンブルは(このオーケストラとしては)希有なほど。山田さんの音楽的な能力を物語るものだ。才能のある、もっというと、本物の才能のある、若い指揮者が振ると、こういうことが起きる。音楽的な緻密さが、すべての音を管理するからだ。

 ソプラノ独唱の歌手は明らかに準備不足。音程もリズムも甘く、せっかくの演奏に水を差した。
(2011.4.23.サントリーホール)
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