東京オペラ・プロデュースがプロコフィエフのオペラ「修道院での結婚」を上演した。
公演チラシによると、本作は1998年にゲルギエフ指揮のキーロフ歌劇場が上演してアンナ・ネトレプコを輩出し、以降イギリスのグラインドボーン音楽祭などで上演され、最近ではパリのオペラ・コミックでも取り上げられたそうだ。今ヨーロッパで注目されているオペラの一つだ。
といっても、わたしはまったく知らなかったので、事前にCDを購入した。ゲルギエフ指揮のCDも出ているようだが、わたしが入手したのはグラインドボーン音楽祭でのライブ録音、ヴラディミール・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルの演奏だ。
何度か聴いてみて、すっかり楽しくなった。これは傑作だ。プロコフィエフの最高傑作というと、なんだか当てにならない話になるが、少なくともプロコフィエフの最良の面が出ている作品であることは確かだ。
では、最良の面とはなにかというと、溢れ出るメロディー、色彩豊かなハーモニー、ルーティンに陥らないリズム――そしてなんといっても、本作に即していうと、幸福感に満ちた抒情性だ。しかも本作の場合は、オペラとバレエの希有な融合がある。若いころからオペラとバレエを並行して書いてきたプロコフィエフならではの成果だ。
当日の公演プログラム(岸純信氏の解説)によると、本作の作曲当時、プロコフィエフには若い恋人がいたそうだ。詩人であるその恋人は、本作の原作となるイギリスの喜劇作家リチャード・シェリダンの戯曲「ドゥエニャ」を翻訳中で、プロコフィエフにオペラ化を提案した。台本はプロコフィエフとその恋人との共作だ。当時の幸せな気分が台本に、そして音楽に反映されているようだ。
今回は待望の公演だった。初日ということもあってか、出だし(第1幕)は反応が鈍くて単調な演奏だったが、休憩後の後半(第3幕と第4幕)になると快活さが出てきた。今回は日本初演だ。本作を日本に紹介する役目は十分に果たしたと思う。今後はもっと磨き上げられた舞台を期待したいところだが、ではどこにそれを期待できるかとなると、はたと考え込んでしまった。新国立劇場があるが、創立15年になる今でも、このような演目は期待できない状態だから。
東京オペラ・プロデュースに集うスタッフとキャストの皆さんの努力で、現状の渇きがずいぶん癒されていることに感謝あるのみだ。
(2012.1.14.新国立劇場中劇場)
公演チラシによると、本作は1998年にゲルギエフ指揮のキーロフ歌劇場が上演してアンナ・ネトレプコを輩出し、以降イギリスのグラインドボーン音楽祭などで上演され、最近ではパリのオペラ・コミックでも取り上げられたそうだ。今ヨーロッパで注目されているオペラの一つだ。
といっても、わたしはまったく知らなかったので、事前にCDを購入した。ゲルギエフ指揮のCDも出ているようだが、わたしが入手したのはグラインドボーン音楽祭でのライブ録音、ヴラディミール・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルの演奏だ。
何度か聴いてみて、すっかり楽しくなった。これは傑作だ。プロコフィエフの最高傑作というと、なんだか当てにならない話になるが、少なくともプロコフィエフの最良の面が出ている作品であることは確かだ。
では、最良の面とはなにかというと、溢れ出るメロディー、色彩豊かなハーモニー、ルーティンに陥らないリズム――そしてなんといっても、本作に即していうと、幸福感に満ちた抒情性だ。しかも本作の場合は、オペラとバレエの希有な融合がある。若いころからオペラとバレエを並行して書いてきたプロコフィエフならではの成果だ。
当日の公演プログラム(岸純信氏の解説)によると、本作の作曲当時、プロコフィエフには若い恋人がいたそうだ。詩人であるその恋人は、本作の原作となるイギリスの喜劇作家リチャード・シェリダンの戯曲「ドゥエニャ」を翻訳中で、プロコフィエフにオペラ化を提案した。台本はプロコフィエフとその恋人との共作だ。当時の幸せな気分が台本に、そして音楽に反映されているようだ。
今回は待望の公演だった。初日ということもあってか、出だし(第1幕)は反応が鈍くて単調な演奏だったが、休憩後の後半(第3幕と第4幕)になると快活さが出てきた。今回は日本初演だ。本作を日本に紹介する役目は十分に果たしたと思う。今後はもっと磨き上げられた舞台を期待したいところだが、ではどこにそれを期待できるかとなると、はたと考え込んでしまった。新国立劇場があるが、創立15年になる今でも、このような演目は期待できない状態だから。
東京オペラ・プロデュースに集うスタッフとキャストの皆さんの努力で、現状の渇きがずいぶん癒されていることに感謝あるのみだ。
(2012.1.14.新国立劇場中劇場)