今年のラ・フォル・ジュルネは5月5日に出かけた。まず11:00からのトリオ・ヴァンダラーTrio Wandererから。1曲目はショーソンのピアノ三重奏曲。ショーソンのよさがたっぷり味わえる演奏だった。ショーソンのよさとは、高貴な情熱とでもいったらいいか。フランクに連なる作曲家(フランキスト)としてのショーソンの、その音楽史上の位置というか、フランクに触発された高潔な精神性が、この若い時期の作品にもすでに十分に発揮されていることが感じられた。
と、なんだか力の入った書き方になったが、それはこの時期の音楽が好きだから。若いころにフランクの音楽が好きになり、その流れで一連のフランキストと呼ばれる作曲家も聴くようになった。それ以来これらの作曲家は、心のふるさとのようなものになった。いつも聴く音楽ではないが、たまに聴くと自分を取り戻すような感覚になる、そんな意味での心のふるさと。
2曲目はラヴェルのピアノ三重奏曲。同じくフランス近代の作品といっても、この曲になると、ラヴェルの個人様式が極まった観がある。時代的な文脈を通り越して、むしろ20世紀の音楽と地続きの地平に立っているような曲だ。名曲中の名曲で、昔から聴いている作品だが、今回ショーソンと並べて聴いたので、余計そう感じたのだろう。もっとも演奏には、さらに洗練されたものがほしかった。
12:30からはスザンナ・マルッキ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン。1曲目はラヴェルの「序奏とアレグロ」(この曲は指揮者なし)。前のピアノ三重奏曲で感じた不満がすっかり解消された。いや、解消されたどころではない、想像もできない優秀さだ。たとえていえば、超高級車の乗り心地のようなもの。どこにも引っかからずにスムースに運行され、快いことこの上ない。驚いた。
2曲目はブーレーズの「シュル・アンシーズ」。3台のピアノと3台のハープ、3人の打楽器奏者のための曲。演奏時間は40分くらいの大曲だ。ピアノ1台は永野英樹。我が同胞、頼もしい。この演奏もすばらしかった。触れると壊れてしまいそうな繊細さと光沢のある音色は、高級なガラス細工のようだ。ブーレーズの作品はその仕上げの精妙さにおいてラヴェルの延長上にあると感じた。
13:40からはカニサレス六重奏団。カニサレスはフラメンコ・ギターの第一人者のようだ。サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルと「アランフェス協奏曲」を協演したりしている。今回演奏された曲はすべて自作曲。フラメンコの泥臭さよりも、明るいポップな感覚があった。これはこれでいい気分転換になった。
(2013.5.5.東京国際フォーラムホールB5・ホールC、よみうりホール)
と、なんだか力の入った書き方になったが、それはこの時期の音楽が好きだから。若いころにフランクの音楽が好きになり、その流れで一連のフランキストと呼ばれる作曲家も聴くようになった。それ以来これらの作曲家は、心のふるさとのようなものになった。いつも聴く音楽ではないが、たまに聴くと自分を取り戻すような感覚になる、そんな意味での心のふるさと。
2曲目はラヴェルのピアノ三重奏曲。同じくフランス近代の作品といっても、この曲になると、ラヴェルの個人様式が極まった観がある。時代的な文脈を通り越して、むしろ20世紀の音楽と地続きの地平に立っているような曲だ。名曲中の名曲で、昔から聴いている作品だが、今回ショーソンと並べて聴いたので、余計そう感じたのだろう。もっとも演奏には、さらに洗練されたものがほしかった。
12:30からはスザンナ・マルッキ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン。1曲目はラヴェルの「序奏とアレグロ」(この曲は指揮者なし)。前のピアノ三重奏曲で感じた不満がすっかり解消された。いや、解消されたどころではない、想像もできない優秀さだ。たとえていえば、超高級車の乗り心地のようなもの。どこにも引っかからずにスムースに運行され、快いことこの上ない。驚いた。
2曲目はブーレーズの「シュル・アンシーズ」。3台のピアノと3台のハープ、3人の打楽器奏者のための曲。演奏時間は40分くらいの大曲だ。ピアノ1台は永野英樹。我が同胞、頼もしい。この演奏もすばらしかった。触れると壊れてしまいそうな繊細さと光沢のある音色は、高級なガラス細工のようだ。ブーレーズの作品はその仕上げの精妙さにおいてラヴェルの延長上にあると感じた。
13:40からはカニサレス六重奏団。カニサレスはフラメンコ・ギターの第一人者のようだ。サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルと「アランフェス協奏曲」を協演したりしている。今回演奏された曲はすべて自作曲。フラメンコの泥臭さよりも、明るいポップな感覚があった。これはこれでいい気分転換になった。
(2013.5.5.東京国際フォーラムホールB5・ホールC、よみうりホール)