「ワルター・ピアノで聴くベートーヴェンの室内楽」というコンサート。ヤマハ銀座で開催中の「むかしむかしの素敵なピアノ」展の一環だ。
モーツァルトの生家やベートーヴェンの生家に行くと――いや、もっと身近な、どこかの博物館や展示場でもいいが――、当時のチェンバロやフォルテピアノが置いてある。「どんな音がするのだろう」と思うのはだれしも同じだろう。ときには簡単な解説付きで試奏してくれることもある。でも、それらの楽器を使った――現役の楽器として――本格的なコンサートを聴く機会は、ありそうでない気がする。
上記のコンサートはそんな得難いコンサートだった。
ワルター・ピアノとはアントン・ワルター(1752‐1826)が製造したピアノ(ピアノフォルテ)。ワルターはモーツァルトやベートーヴェンと同時代人で、ウィーンで活動したピアノ製作者だ。当時随一の評価を得ていたそうだ。モーツァルトはワルターのピアノを所有していた。ベートーヴェンがどうだったかはわからないが、当然その名前は知っていただろう。狭いウィーンのことだから、面識があってもおかしくない。
そのワルターの作ったピアノフォルテ(1808~1810年製)を使ってベートーヴェンの室内楽が演奏された。繰り返すが、ワルターのピアノフォルテだ。レプリカではない。ここがグッとくるところだ。プログラムも本格的だ。クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ第9番「クロイツェル」、クラヴィーアとチェロのためのソナタ第3番そして交響曲第2番(ピアノ三重奏版)。
もちろんCDでピリオド楽器の音はいくらでも聴ける。でも、生で聴きたかった。その甲斐があった。たとえばクロイツェル・ソナタの第2楽章の第3変奏で短調に転じたときの、ピアノフォルテの暗い、くぐもった音色は、ベートーヴェンが求めたもの――世界が一瞬にして暗転する底なしの暗さのようなもの――を伝えて説得力があった。
演奏はピアノフォルテが小倉貴久子(継続的にピリオド楽器の演奏・録音をしている人だ)、ヴァイオリンが桐山建志、チェロが花崎薫。皆さん大変な力量だ。なお、弦の二人はガット弦を使用。
アンコールにピアノ三重奏曲「街の歌」から第3楽章が演奏された。交響曲第2番のピアノ三重奏版も面白かったが、オリジナルのピアノ三重奏曲は各パートの自由さが一段と大きいと感じられた。
(2013.8.12.ヤマハ銀座コンサートサロン)
モーツァルトの生家やベートーヴェンの生家に行くと――いや、もっと身近な、どこかの博物館や展示場でもいいが――、当時のチェンバロやフォルテピアノが置いてある。「どんな音がするのだろう」と思うのはだれしも同じだろう。ときには簡単な解説付きで試奏してくれることもある。でも、それらの楽器を使った――現役の楽器として――本格的なコンサートを聴く機会は、ありそうでない気がする。
上記のコンサートはそんな得難いコンサートだった。
ワルター・ピアノとはアントン・ワルター(1752‐1826)が製造したピアノ(ピアノフォルテ)。ワルターはモーツァルトやベートーヴェンと同時代人で、ウィーンで活動したピアノ製作者だ。当時随一の評価を得ていたそうだ。モーツァルトはワルターのピアノを所有していた。ベートーヴェンがどうだったかはわからないが、当然その名前は知っていただろう。狭いウィーンのことだから、面識があってもおかしくない。
そのワルターの作ったピアノフォルテ(1808~1810年製)を使ってベートーヴェンの室内楽が演奏された。繰り返すが、ワルターのピアノフォルテだ。レプリカではない。ここがグッとくるところだ。プログラムも本格的だ。クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ第9番「クロイツェル」、クラヴィーアとチェロのためのソナタ第3番そして交響曲第2番(ピアノ三重奏版)。
もちろんCDでピリオド楽器の音はいくらでも聴ける。でも、生で聴きたかった。その甲斐があった。たとえばクロイツェル・ソナタの第2楽章の第3変奏で短調に転じたときの、ピアノフォルテの暗い、くぐもった音色は、ベートーヴェンが求めたもの――世界が一瞬にして暗転する底なしの暗さのようなもの――を伝えて説得力があった。
演奏はピアノフォルテが小倉貴久子(継続的にピリオド楽器の演奏・録音をしている人だ)、ヴァイオリンが桐山建志、チェロが花崎薫。皆さん大変な力量だ。なお、弦の二人はガット弦を使用。
アンコールにピアノ三重奏曲「街の歌」から第3楽章が演奏された。交響曲第2番のピアノ三重奏版も面白かったが、オリジナルのピアノ三重奏曲は各パートの自由さが一段と大きいと感じられた。
(2013.8.12.ヤマハ銀座コンサートサロン)