Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラザレフ/日本フィル

2014年06月10日 | 音楽
 ラザレフ/日本フィルの横浜定期。別のオーケストラの定期とダブってしまった。時間的には重なっていないので、両方聴いたが、こういうのはあまりよくない。どうしても比較してしまう。それに第一、疲れる。

 ともかく、比較するのは好きではないので、日本フィルに絞って記したい。1曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏は上原彩子。ラザレフ、上原彩子と役者が揃って、曲目がショパンというのは、もったいない気もするが‥。プロコフィエフとかなんとか、ロシア物がありそうな気がするが、あえてショパンとしたのは、どちらかの希望があったのか。

 演奏は面白かった。もっとも、いつもの上原彩子とは一味ちがっていた。チャイコフスキーなどのロシア物で聴かせる集中力の強い演奏――それは人並み外れた集中力だ――とくらべると、少し突き放したところのある演奏だった。自分と曲との間に一定の距離を置いた演奏。

 これは、甘さや、音の美しさで聴かせる演奏ではなく、譜面をじっくり読んでいく演奏だった。なので、ショパンが青春の情熱をぶつけた曲ではなく、人生をかみしめる曲のように聴こえた。そこが面白かった。最後まで飽きずに聴くことができた。

 2曲目はカリンニコフ(1866‐1901)の交響曲第1番。昔(あれはいつだったか‥)スヴェトラーノフがN響を振って演奏した曲だ。そのとき初めて聴いた。なんの予備知識もなかったが、たちまち魅了された。そのとき以来、つねに心のどこかにある曲だ。

 生で聴くのは今回が2度目だが、CDはいくつか聴いたことがある。その結果、一定のイメージができあがっていた。幾分線の細い、抒情的な曲。ところがラザレフの指揮は、そんなイメージを吹き飛ばす、ダイナミックな演奏だった。第1楽章の冒頭、弦がロシア民謡のような第1主題を提示し、すぐトゥッティになるときの、そのトゥッティの音型が強烈なフォルテで演奏された。「おっ、これは!」と思った。

 季節に例えるなら、早春のすがすがしさではなく、真夏の、短い生命を精一杯燃焼させる演奏。これもありだ、と思った。既成のイメージではなく、ラザレフがスコアから読み取った音楽が感じられた。

 アンコールに「熊蜂の飛行」が演奏された。ラザレフは指揮台から下りて第1ヴァイオリンの横を動き回った。楽しかった。聴衆とのコミュニケーションがうまい指揮者だと改めて思った。
(2014.6.7.みなとみらいホール)
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