Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カリニャーニ/読響

2014年06月13日 | 音楽
 カリニャーニ指揮の読響でヴェルディの「レクイエム」。合唱は新国立劇場合唱団。合唱も優秀、オーケストラも優秀だと、合唱とオーケストラが、2層のテクスチュアーを織るように聴こえる。はっきり分かれたテクスチュアー。それぞれの動きが目に見えるようだ。それが心地よかった。

 そのテクスチュアーに独唱陣が加わる。あるときは第3のテクスチュアーを織り、またあるときは全体を引っ張り、またオブリガートのように絡むときもある。流動的に変化するその様相に興味は尽きなかった。

 独唱陣ではソプラノの並河寿美とメゾ・ソプラノの清水華澄が安定していた。清水華澄は第2部「ディエス・イレ」をリードした。その安定度は見事だ。また並河寿美は第7部「リベラ・メ」で重責を果たした。その声と姿には華さえ感じられた。2人のデュオの「リコルダーレ」では思わずうっとりした。

 男声陣では、バスの妻屋秀和が、さすがに安心して聴けた。「テューバ・ミルム」の後半では‘モルス’の呟きにオペラのような深い感情表現があった。一方、テノールの岡田尚之は安定感に欠けた。音がフラフラしていた。本人も気付いていたのだろう。余計ナーヴァスになっていたようだ。

 カリニャーニの指揮には明快なドラマトゥルギーがあった。それはオーケストラにも合唱にも、そして独唱陣にも向けられた。たんに劇的なだけではなく、細かい音型にも、ピアニッシモの部分にも、それは発揮された。結果この「レクイエム」は、自然な息遣いを失わず、多彩なひだのある演奏になった。

 最後の第7部では、並河寿美は、冒頭の「リベラ・メ」を歌い終わった後、オーケストラと合唱が次の「ディエス・イレ」を演奏している間に、ステージの最後方、一段高くなっている山台の上に移動した。そこで歌われた「レクイエム・エテルナム」では、そのソプラノの声が合唱を引き連れているように聴こえた。また最後の「リベラ・メ」では合唱から突き抜けて声が出てきた。

 なお、当日の朝、かつて読響の常任指揮者を務めたラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの訃報が流れた。4月に引退宣言があった。その直後の逝去だった。この「レクイエム」はその追悼に捧げられた。演奏前にカリニャーニは黙とうし、また演奏後も、今度は気が遠くなるほど長い黙とうを捧げた。聴衆もよく心得ていた。だれも咳一つせず、その長い黙とうを共にした。
(2014.6.12.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする