Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フルシャ/都響

2014年09月09日 | 音楽
 秋のシーズン開幕(わたしにとっては)。その最初の演奏会はフルシャ指揮の都響だった。オール・マルティヌー・プログラム。

 1曲目は交響曲第4番。以前(あれはいつだったか)アラン・ギルバートがN響を振って名演を聴かせた。その記憶がまだ鮮明に残っている。今回も大いに期待したが、期待が大きすぎたのか、どうも乗れなかった。なぜだろう。たぶん‘色’が足りなかったのだ。この曲特有の色彩感が不足していた。

 そう思って振り返ってみると、リズムも今一つ重かった。重かったというと言い過ぎになるかもしれないが、弾むようなリズム感が不足していた。非対称のリズムが絡み合って沸騰していく、そんな軽さが出てこなかった。

 演奏がわるかったというわけではなく、とくに最後の第4楽章では充実したオーケストラの音を聴くことができた。でも、それがもう一段上のレベルに‘結実’しなかった。ほんらい到達すべき演奏に届かなかった。

 なんだか不満足な状態のまま2曲目を迎えた。カンタータ「花束」。そんな曲があったのかと思った。マルティヌーは多作家なので、知っている曲はその一部でしかない。そういう自分を棚に上げていうのだが、「花束」という曲名は初耳だ。

 オーケストラの音が見違えるようにカラフルになった。思わず目をみはった。透明な空気感がある。リズムも軽くなった。しかもピタッと決まっている。1曲目に不足していたすべての要素がここにはあると思った。こうでなくては――。

 おまけに、新国立劇場合唱団のすばらしいこと。‘塵一つない’と形容したくなるような完璧さだ。最近この合唱団には賛辞が絶えないので、今さらという気もするが、それにしてもさすがだ。

 4人の独唱者はチェコからの招聘。ソプラノのシュレイモヴァー金城由紀子は日本人のようだ。チェコの方と結婚しているのかもしれない。しっかりした歌だった。テノールのペテル・ベルゲルは、新国立劇場の「ルサルカ」で王子役を歌った人だそうだ(念のために同劇場のHPを見たら、ペーター・ベルガ―と表記されていた)。さすがはオペラ歌手、すごい声だ。

 この曲はマルティヌーがもっとも民族主義的な音楽に近づいた例の一つではないだろうか。マルティヌーの全体像を理解する上で重要なパーツだ。1937年の作。ヒトラーの脅威が迫っていた時期だ。そういう時代背景も影響しているのだろうか。
(2014.9.8.サントリーホール)
コメント
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