Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/読響

2014年09月10日 | 音楽
 下野竜也指揮の読響。1曲目はハイドンの交響曲第9番。下野竜也の話によると「9月9日の演奏会でメインプログラムはブルックナーの交響曲第9番。で、もう1曲は、となって、ハイドンの9番を選んだ」とのこと(読響のHP)。どこまで本当か(笑)。

 小編成のオーケストラの軽い音が心地よい。歯切れのいいリズムで淀みなく進む。いかにも初期のハイドンに相応しい演奏だという感じ。

 この曲は3楽章構成だ。メヌエットで終わる。今の感覚でいえば、フィナーレがない。でも、当時の人々はどうだったのだろう。4楽章構成の交響曲モデルがまだない時期だ。なんでもありの状態ではなかったろうか。ハイドンにかぎらず、さまざまな試みが行われていたのだろう。

 あの膨大な数のハイドンの交響曲は‘宝の山’ではないかという気がした。他にどんな‘宝’が埋もれているのだろう。それを知らずに過ごすのはもったいないと思った。

 2曲目はブルックナーの交響曲第9番。さて、どういう演奏になるか。正直にいうと、おっかなびっくりだった。というのは、今まで聴いた第4番と第5番には少し引っかかっていたからだ。とくに第5番には‘力み’が感じられた。豪快に鳴るのだが(それは今どき珍しいほどの豪快さなのだが)、「どうしてこんなに強面なのだろう」と思うような面があった。

 で、今回の第9番だが、これは(よい意味で)予想を裏切る演奏だった。第1楽章の冒頭から息の長い第1主題の終わりまで、ゆるやかな線を描く演奏を聴くことができた。第1主題の最後の最強奏の部分では、思いっきり引き伸ばされたテヌートに度肝を抜かれた。でも、このくらいの芝居っ気はあってもいい。

 第1楽章はそのペースで進んだ。第2楽章も好調だと思った。だが、第3楽章になってテンポが遅くなった。実感からいうと、(演奏が進むにつれて)だんだん遅くなった。これはまずいパターンだ。わたしは集中力がもたなかった。

 1曲目のハイドンを振り返ってみると、下野竜也の音楽性は真正なものだと思う。それは信じて疑わない。でも、ブルックナーでは試行錯誤が感じられる。デビュー以来継続的に取り組んできたシューマン、ヒンデミットそしてドヴォルザークでは感じなかったことだ。賢明な下野竜也のことだから、こういったことはすべて承知の上で、今ブルックナーに取り組んでいるのだろう。長い目で見守りたい。
(2014.9.9.サントリーホール)
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