Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

イドメネオ

2014年09月15日 | 音楽
 ダミアーノ・ミキエレット演出の「イドメネオ」。東京二期会のヨーロッパの‘旬’のオペラ上演を日本に紹介する路線の、これはすばらしい成果だ。2012年のクラウス・グート演出の「パルジファル」と並ぶ成功例だと思う。

 戦争から帰った兵士(本作の場合は指揮官)のPTSDというコンセプトは、プログラムの森岡実穂氏の解説で述べられているところなので、わたしなどが云々するまでもない。血塗られた指揮官=イドメネオという見方は昔からあった。それをPTSDというコンセプトで解釈し直した点が目新しい。

 驚いたのはエレットラだ。思いっ切りコミカルにしている。とくに第2幕のアリアは、今までそうだと思っていた‘穏やかな’アリアではなく、腰が抜けるほどコミカルに仕立てられていた。面白い。なるほど、こういう解釈も可能なのかと、目からうろこが落ちる思いだった。

 エレットラを歌った大隅智佳子はパワー全開だ。ワーグナーの処女作「妖精」で初めて聴いたときから注目していたが、こういうコミカルな役作りもできる歌手になるとは思わなかった。歌の実力はいうまでもなく、第3幕の怒りのアリアは迫力満点だった。

 イダマンテの山下牧子もよかった。この人のズボン役を観るのは初めてだが、期待以上のできだ。硬質の声がズボン役に相応しい。イドメネオの与儀巧は陰影のある歌だった。ただ、どういうわけか、最大の聴きどころの第2幕前半のアリアは、少し一本調子に聴こえた。わたしの聴き方がわるかったのか――。

 準・メルクルの指揮もよかった。よく指摘されることだが、本作のオーケストラ書法の充実ぶりが、手に取るように伝わってきた。なるほど、これは、当時世界最高といわれたマンハイムのオーケストラを使えるので、モーツァルトが夢中になって書いた音楽なのだなと納得できた。

 細かい点だが、第2幕の幕切れでウィンド・マシーンが使われていた。モーツァルトが書いたはずはないので、だれかの創意(か演奏慣習)だろう。もう一つ、同じ箇所でバス・ドラムが最後まで残って、遠雷を表現していた。これは効果抜群だった。

 不満があったとすれば合唱だ。このオペラは合唱の比重が大きいが、パワー不足で客席まで届いてこなかった。とくに第3幕のフィナーレの合唱は物足りなかった。もしかすると、演出との兼ね合いで、意図して合唱を抑えたのだろうかと、そんなことまで考えた。
(2014.9.14.新国立劇場)
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