Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル/都響

2016年09月21日 | 音楽
 インバル/都響は今やキャリアの絶頂にあるようだ。昨日の定期Bプロも、ツィッターの投稿を見ると、絶賛、絶賛、絶賛の嵐だ。わたしはじつは少々疲れたのだが、正直な感想を書くのはためらわれる雰囲気がある。

 1曲目はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。ヴァイオリン独奏はオーギュスタン・デュメイ。デュメイを聴くのは何年ぶりだろう。相変わらず(というか、むしろ演奏が始まってから思い出したのだが)艶のある音で、その演奏は伸び伸びとして、陰影にも欠けていない。

 オーケストラは、第1楽章の出だしが、これまた艶のある明るい音で始まり、リズムには弾みがあり、好調さを感じさせた。独奏ヴァイオリンともよくかみ合い、暖かみのある演奏になった。

 今さらこんなことに気付くのもなんだが、この曲の第2楽章は、弱音器を付けた弦の繊細なテクスチュアと、その上に乗る独奏楽器の息の長いメロディーという点で、ピアノ協奏曲第21番の第2楽章の先行作品だ。作曲年代は、ヴァイオリン協奏曲第3番が1775年、ピアノ協奏曲第21番が1785年なので、両楽章は10年の隔たりがある姉妹のようだ。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第8番。第1楽章冒頭の暗くうごめく低弦の音からすでに、この演奏がどんなに気合の入ったものであるか、そしてどんな演奏になるかを予感させた。その後の演奏は(予感どおりの)壮絶極まりないものになった。

 音楽の局面、局面が、抉られ、渦を巻き、叩きつけられる。凄まじい演奏だ。目まぐるしく展開し、息つく暇もない。インバル/都響のコンビとしても渾身の演奏だったと思う。ステージの上には多数のマイクが下がっていたので、いずれ録音が出るのかもしれない。録音で聴いたら面白いだろうなと思った。

 でも、正直にいうと、いつまでたってもショスタコーヴィチには辿りつかないような、一種のもどかしさを感じた。オーケストラのドライヴ感は凄いが、これなら別にショスタコーヴィチでなくても(別の作曲家でも)よいのではないかと思った。

 インバルは昔から大編成のオーケストラを鳴らすのがうまかった。本人も十分に自覚して、レパートリーをそのような方向に特化してきた。でも、そういうアプローチで割り切ってしまう面があり、そこからこぼれ落ちるものには無頓着な(意外な)単純さもあったかもしれないと思った。
(2016.9.20.サントリーホール)
コメント
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