Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2018年01月11日 | 音楽
 音楽評論家の大久保賢氏のブログに「聴き初め」という言葉があったので、それを拝借すると、わたしの「聴き初め」は大野和士/都響。プログラムが濃厚で、リヒャルト・シュトラウスの組曲「町人貴族」とツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」。お屠蘇気分など吹き飛ぶエンジン全開のプログラムだ。

 1曲目の「町人貴族」は、出だしは硬かったが、徐々にこなれてきた。ヴァイオリンの矢部達哉、ヴィオラの店村眞積のソロが、艶のある音色と色気のあるフレージングで、一頭地を抜いていたのはさすが。チェロの古川展生とオーボエの鷹栖美恵子のソロもよかった。ピアノを弾いていたのはだれだろう。とくに第1曲で歯切れのよいリズムが全体を牽引した。

 だが、欲をいえば、全体のアンサンブルがもっと闊達であってほしかった。各パートにソロが割り振られているので、各奏者は、ソロの箇所に来たら、私のソロを聴いてくれ、といわんばかりの演奏をしてほしかった。

 2曲目の「人魚姫」では、緩急、強弱のコントラストが強烈な、ドラマティックな演奏が繰り広げられた。全体のイメージは、スケール感の大きい、物語性の豊かなバラードのようだった。

 その中にあって、第2楽章の終わり方は、まるでオペラの幕切れのようだった。今まで聴いたこの曲の演奏でも、オペラのような終わり方だと感じていたような気がするが、今回ほどそれを鮮明に感じたことはない。オペラ作曲家であるツェムリンスキーの資質と、オペラ指揮者の大野和士の感性とが、この部分で邂逅したような、そんな火花の散る瞬間だった。

 大野和士/都響のコンビは、10月にはツェムリンスキーの「叙情交響曲」をプログラムに組んでいる。そうだとするなら、本年9月からの新国立劇場の演目でも、ツェムリンスキーのオペラが予定されているかもしれない。大野和士ファンのわたしは、そう思いたくなる。期待は空振りになるかもしれないが、よいではないか、今はそう思わせてくれ、といいたくなる。(※)

 勝手な妄想をもう少し続けるなら、ツェムリンスキーのオペラは、最初は「フィレンツェの悲劇」や「こびと‐王女の誕生日」になるかもしれないが、故ゲルト・アルブレヒトが読響の常任指揮者時代に演奏会形式で上演した「夢見るゲルゲ」は、演出付きで上演したら、どんな演出になるかも興味深い。
(2018.1.10.サントリーホール)

(※)驚いたことに、本日(1月11日)、新国立劇場の新シーズンのプログラムが発表され、「フィレンツェの悲劇」が入っていました。ブログはこのままにしておきます。
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