Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鷹野晃「夕暮れ東京」と「東京屋上散歩」

2020年02月23日 | 読書
 昨年の暮れに鷹野晃氏の写真展「ベートーヴェンへの旅」(※)を見に行った。ベートーヴェンゆかりの地のボンとウィーンのベートーヴェン記念館や街並みを写した写真が展示されていた。自然体といったらいいか、構えたところのない、旅行者が現地で目にする風景そのままの写真を楽しんだ。

 会場は銀座のソニーイメージングギャラリーだった。鷹野晃氏も会場にいて声をかけていただいた。一言二言言葉を交わしただけだが、それだけでも、鷹野氏の温厚で偉ぶらない人柄が伝わった。その人柄は作品から受ける印象と似ていた。

 それからずっと、鷹野氏の他の作品はどうなのか、気になっていたので、写真集「夕暮れ東京」(淡交社刊、2007年)を読んでみた。東京の夕暮れ風景を写したもので、オレンジ色の夕映えを見てたたずむ人々、買い物客でにぎわう夕方の商店街、だれもいなくなった公園、その他の郷愁を誘う作品が詰まっていた。それらの写真をじっと見ていると、甘酸っぱい感傷が湧いてきた。

 自分の記憶をさぐってみた。さまざまな想い出が浮かんだ。子どもの頃の想い出もあるが、むしろ仕事からの帰り道に駿河台から水道橋へ下る坂で見た夕焼けが浮かんだ。仕事がうまくいかない焦燥感や、デマや中傷を流されて口惜しい思いをしたことが蘇った。

 もう一冊読んでみようと思い、「東京屋上散歩」(淡交社刊、2012年)を読んだ。いろいろな屋上があるものだと思った。遊園地になっているものもあれば、緑豊かな公園になっているものもある。驚いたことには、水田になっているものもある。赤い鳥居を構えた社が据えられたものもある。

 わたしはまた自分の記憶をさぐった。子どもの頃に母親に(父親ではなかった。父親は仕事に行っていたのだろう)連れて行ってもらった蒲田や川崎の(銀座や渋谷ではなかった)デパートの屋上の遊園地が、まず目に浮かんだ。展望台に上ったら足がすくんだ。高校の屋上も目に浮かんだ。わたしは屋上に出られることを知らなかった。ある日それを知って、昼休みに行ってみたら、大勢の生徒がいた。

 鷹野晃氏の写真集の夕暮れと屋上と、その二つのテーマは、なにか共通点がありそうだった。それはなんだろう。一種の「異界」かもしれないと思った。夕暮れは昼と夜のどちらにも属さず、そこだけ瞬間的に出現した時間。また屋上は地上と空のどちらにも属さず、そこだけポッカリ広がった空間。鷹野晃氏の感性はそれらの「異界」を捉えて作品にした。わたしはその作品に誘われて自分の記憶をさぐった。

(※)「ベートーヴェンへの旅」https://www.youtube.com/watch?v=Fean-mjPp-Q
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