Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

東京二期会「タンホイザー」

2021年02月22日 | 音楽
 当初予定されていた指揮者が来日中止になったため、来日中のセバスティアン・ヴァイグレが代役を引き受けた東京二期会の「タンホイザー」。そのヴァイグレ指揮の読響はニュアンス豊かで、けっして一本調子にならない演奏を繰り広げた。柔和な音が続くが、ここぞというときには鋭角的な音を出す。海外に向けても個性を主張できる演奏だった。

 歌手ではエリーザベトを歌った竹多倫子(たけだ・みちこ)という歌手が掘り出しものだ。イタリアでイタリア・オペラを歌う機会が多いらしいが、ワーグナーも歌える豊かな声の持ち主だ。またタンホイザーを歌った芹澤佳通(せりざわ・よしみち)もよかった。他の方の感想をネットで拝見すると、不評も散見されるが、わたしが観た二日目(最終日)は他の方がいうような問題は感じなかった。

 ヴォルフラムの清水勇磨(しみず・ゆうま)も立派な声だった。ヴェーヌスの池田香織がよかったことはいうまでもない。テューリンゲン方伯ヘルマンの長谷川顯にはベテランの落ち着きがあった。

 1階前方の左寄りのわたしの席からは、ヴァイグレの指揮がよく見えたが、それを見ていると、ヴァイグレが歌手に合わせて歌いながら指揮していることがわかった。それは歌手に細かくニュアンス付けしているようだった。すでに二日目に入っているが、手綱を緩めずに、歌手が走り出すのを抑えているようだった。

 キース・ウォーナーの演出は、元々はフランスのラン歌劇場のためのものらしいが、よく考えられていておもしろかった。一番ギョッとしたのは、第3幕で罪を許された巡礼たちが帰ってくる場面で(エリーザベトはタンホイザーの姿を探すが、見つからない)、その巡礼たちが敗残兵のように見えたことだ。服がボロボロで、なかには頭に包帯を巻いている人もいる。どう見ても、神に救われた人々には見えない。そこから幕切れまでキース・ウォーナーの描くドラマが展開した。

 幕切れではタンホイザーが、天井から下がってくる螺旋状の筒を登り始め、そこに縊死したエリーザベトの無残な遺体が下りてくる。タンホイザーは手を伸ばして遺体に触れようとするが、手が届かないまま幕が下りる。救いは訪れない。筒の下部には緑色の照明が当てられている。それは緑の芽吹いた杖を象徴するが、でも、無力だ。一方、ヴェーヌスは敗北感に打ちのめされる。勝者は(エリーザベトをふくめて)だれもいない。

 床には無数の紙屑が散らかっている。それはタンホイザーをはじめとする騎士=詩人たちの作った歌の象徴だろう。歌も無駄に費やされたのだ、と。
(2021.2.21.東京文化会館)
コメント (2)
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