Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木優人/日本フィル

2021年05月29日 | 音楽
 インキネンの代役に立った鈴木優人は、日本フィルとやるならシベリウスを、と希望したそうだ。その希望が実った見事なプログラム。たんなる代役ではなく、目的意識をもったプログラムを組むところが鈴木優人らしい。

 1曲目はステンハンマルの演奏会用序曲「エクセルシオール!」。この選曲にも唸ってしまった。当初、インキネンの代役として鈴木優人が発表になったとき、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏は辻彩奈)と交響曲第6番が発表され、「他」となっていた。この「他」が気になり、あれこれ想像した。それがステンハンマルのこの曲だとわかったときには「そうきたか!」と思った。

 ステンハンマルはシベリウスと同時代人だ。ステンハンマルとシベリウスとニールセンと、北欧御三家(これはわたしの造語だ)の一角を占める。ステンハンマルの作品は他の二人に比べるとあまり演奏されないが、その中では「エクセルシオール!」がもっとも演奏機会に恵まれているだろう。

 鈴木優人指揮日本フィルの演奏は、ドラマの推移を克明に追ったもので、わたしがいままでに聴いた演奏の中では、もっとも納得のいくものだった。この曲のスコアにはゲーテの「ファウスト」からの一節が掲げられているそうだが(満津岡信育氏のプログラム・ノーツより)、たしかに憧れの高みに登りつめるファウストのドラマが、この曲には表現されているのかもしれない。

 2曲目は前述のようにシベリウスのヴァイオリン協奏曲。冒頭の弦のトレモロが囁くように繊細に演奏され、そこに辻彩奈の独奏ヴァイオリンが弱音でそっと入ってきた。まるで弦のトレモロをかき乱さないように細心の注意を払っているかのようだ。わたしは以前にある人気ヴァイオリニストが、大きな音像で、いかにも自己主張をするように入ってきたのを聴き、ショックを受けたことがある。それとは正反対だ。

 それ以降も音楽の襞まで入りこむ演奏が続いた。抑制的な表現が基調だが(それはシベリウスの音楽性に合っている)、ときにはテンポを上げて、激しい感情を吐露する。通り一遍なところは皆無だ。わたしはすっかり感心した。アンコールにチェロの首席奏者の菊地知也との掛け合いでシベリウスの「水滴」が演奏された。これはチャーミングだった。

 3曲目はシベリウスの交響曲第6番。鈴木優人の指揮には(バロック音楽であろうと現代音楽であろうと)音楽との一体感が感じられる点が特徴だが、ロマン派のこの曲にもそれが感じられた。そのうえであえていえば、さらにもう一段の高みに上ってほしかった。
(2021.5.28.サントリーホール)
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