Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

サン=サーンス没後100年

2021年12月31日 | 音楽
 2021年も大晦日になった。今年はサン=サーンス(1835‐1921)の没後100年、ストラヴィンスキー(1882‐1971)の没後50年だった。わたしが定期会員になっている在京のオーケストラの中では、高関健指揮の東京シティ・フィルが10月定期でオール・ストラヴィンスキー・プロを組んだ。一方、サン=サーンスにかんしては、そのようなプロを組むオーケストラはなかった。そこで年末はサン=サーンスの作品を聴いてすごした。

 サン=サーンスは有名な割には、フォーレやドビュッシーに比べると影が薄いような気がするのは、わたしだけだろうか。もちろん好きな方は大勢いるだろうが。

 ある音楽評論家が書いたサン=サーンスにかんする文章を紹介したい。「(略)私は、この人(引用者注:サン=サーンス)の器楽は、もうやりきれない気がする。一体、これは本当の芸術家の仕事なのだろうか。彼の旋律――有名な『交響曲第三番』『ヴァイオリン協奏曲第三番』『ピアノ協奏曲』第二、四、五番などの主題をきいてみたまえ。なんという安っぽさ、俗っぽさだろう! そのうえ、あとに出てくる発展は、もう常套手段ばかり。」。そしてこの音楽評論家はその先でさらに毒づくのだが、本人の名誉のために、引用するのは止めよう。

 この音楽評論家はだれだろうか。なにを隠そう(というのも大げさだが)、わたしの敬愛する吉田秀和だ。1959年(昭和34年)に書いた「名曲三〇〇選――私の音楽室」の一節だ。内容的には賛否両論あるだろうが、わたしは若き日の吉田秀和の威勢の良さに微笑んでしまう。若気の至りかもしれないが、その指摘にはもっともな面もある。とくに「発展」云々のくだりは否定しがたい。とはいえ、「発展」云々をふくめて、それらの総体がサン=サーンスだと弁護したい気もする。

 サン=サーンスとは親子ほども年が離れていたドビュッシー(1862‐1918)も、舌鋒鋭くサン=サーンスを批判した。引用はしないが、ドビュッシー特有の毒舌ぶりだ。そのドビュッシーはサン=サーンスよりも早く亡くなった。サン=サーンスはドビュッシーが残した最後の3つのソナタ(フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ、チェロ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタ)に刺激されて、亡くなる1921年にオーボエ・ソナタ、クラリネット・ソナタとファゴット・ソナタを書いた。それらの3つのソナタは、肩の力が抜けた、なんの欲もない音楽だ。

 サン=サーンスもドビュッシーも、6曲のソナタを構想したが、3曲しか完成しなかった。時代は下ってプーランク(1899‐1963)も、最晩年にフルート・ソナタ、オーボエ・ソナタ、クラリネット・ソナタの3つのソナタを書いた。どれも恐ろしいほどの傑作だ。プーランクもドビュッシーの3つのソナタを意識していたという。
コメント (2)
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