Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

井上道義/N響

2022年11月13日 | 音楽
 井上道義指揮N響のAプロ。1曲目は伊福部昭の「シンフォニア・タプカーラ」。第1楽章冒頭のずっしりと重い旋律がショスタコーヴィチのように聴こえた。2曲目にショスタコーヴィチの交響曲第10番が組まれているので、わたしのモードがショスタコーヴィチ・モードになっていたのかもしれない。その後の展開はまさに“伊福部節”が満載なので、わたしのモードも切り替わった。

 2曲目はそのショスタコーヴィチの交響曲第10番。オーケストラの音が伊福部昭のときよりも引き締まった。アンサンブルも精緻だ。そして音楽の襞にていねいに触れていく。井上道義の指揮はときに音が濁ったり、粗くなったりすることがあるが、今回は上質な音楽が崩れない。純音楽的な演奏といってもいい。第4楽章コーダのショスタコーヴィチの音名象徴の連呼もあまり狂騒的にはならなかった。

 個別の奏者ではホルンの1番奏者が今井さんではなく、わたしの知らない奏者だったが、ソロが頻出する第3楽章で安定した演奏を聴かせた。N響は福川さんが退団したので、ホルンの首席奏者を探しているようだ。その候補でもあるのか。

 井上道義は相変わらずのエンターテイナーだった。まず服装だが、伊福部昭のときは作業着といったらなんだが(あれはなんていうのだろう)、黒いうわっ張りのようなものを着ていた(最近はいろいろな指揮者がそれを着ている)。そして伊福部昭のカーテンコールでは、なにやらシャベルで土を掘るような動作をしながら出てきた。ショスタコーヴィチでは一転して燕尾服を着た。その対照がお洒落だ。

 井上道義は1946年生まれだ。それにしては動作も感覚も若い。そしてなによりも音楽が衰えない。大病を患ったはずだが、その痕跡を微塵も感じさせない。根っからの舞台人なのだろう。ブログで2024年末での引退を宣言したそうだが、ほんとうにそうするのか。引退を惜しむ声も多そうだ。

 “引退”では、わたしはアシュケナージを思い出す。アシュケナージも引退を宣言して、きっぱり演奏活動から身を引いた。わたしはその潔さに感服した。日本人の指揮者にはあまり見られない身の処し方だ。わたしはアシュケナージのピアノ演奏は称賛するが、指揮には疑問もあった。だがその身の引き方には打たれた。アシュケナージの自宅はアイスランドにあるはずだ。今頃どうしているのだろうと思うことがある。

 井上道義はどうするのだろう。格好良さにこだわるタイプなので、それなりの引き際を見せるのではないか。
(2022.11.12.NHKホール)
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