Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

新国立劇場「ボリス・ゴドゥノフ」

2022年11月24日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「ボリス・ゴドゥノフ」。会場入り口でもらった「あらすじ」に目を通すと、原作をかなり変えているようだ。ボリス・ゴドゥノフの息子フョードルを重度の障害児と設定した点をはじめ、ディテールで変えている点がかなりある(もちろん基本的なプロットは変わらないが)。これはおもしろそうだ。一気にスイッチが入った。

 上演が始まると、フョードルが現れる。ベッドに横になっている。フョードルの顔がスクリーンに映される。たしかに障害が重そうだ。視覚的に大きな衝撃を受ける。ボリスがベッドに寄り添う。心痛にいたたまれない様子だ。その姿は大国ロシアの絶対的な権力者というよりは、障害児をもつ苦悩の父親を思わせる。

 原作ではフョードルがロシアの地図を学ぶ場面が、本演出ではフョードルは、学ぶことはおろか、言葉を発することもできないので、ボリスはフョードルのうわごとを聞き、フョードルがロシアの地図を学んでいると想像する場面になっている。ボリスは本来フョードルにロシア皇帝を継がせたかったが、重度の障害児にできるわけがない。それはボリス自身がよくわかっている。ボリスの辛い心中が察しられる。

 ボリスにとって致命的なのは、フョードルのうわごとが、ボリスによる前皇帝の皇子暗殺を告発しているように聞こえることだ。原作では聖愚者がボリスの皇子暗殺を告発するのだが、本演出ではフョードルが告発する(フョードルと聖愚者は一体化している)。ボリスにとってはこの上なく残酷な設定だ。

 本演出はその先に、子どもの血と涙のうえに築かれた国家は正当か、という問いをふくんでいるように思われる。そんな普遍性を感じる。フョードルを重度の障害児にしたことは、本演出が投げかける問いを先鋭化する働きをしている。

 演出はポーランドの演出家マリウシュ・トレリンスキ。美術、衣装、照明、映像その他のスタッフも(個々の名前はあげないが)すばらしい仕事だ。上記の「あらすじ」とプログラム誌上の「プロダクション・ノート」の執筆はドラマトゥルクのマルチン・チェコ。注目すべき人だ。

 タイトルロールのギド・イェンティンス、シュイスキー公のアーノルド・ベズイエン、ピーメンのゴデルジ・ジャネリーゼの外国勢がそれぞれ好演。日本勢ではグリゴリー(偽ドミトリー)の工藤和真が外国勢に伍して熱演した。コミカルな場面の「カザンの町であったこと」と「コッコ、コッコ、小さな雄鶏さん」ではもっと弾けてほしかった。大野和士指揮の都響は、ロシア的な野太い音ではないが、叙情豊かな演奏だった。忘れてならないのは、フョードル(黙役)を演じたユスティナ・ヴァシレフスカ。怪演だった。
(2022.11.23.新国立劇場)
コメント (2)
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